У нас вы можете посмотреть бесплатно 岩殿山|遺構の残る悲しい歴史、大迫力の岩壁 Silent hiking или скачать в максимальном доступном качестве, видео которое было загружено на ютуб. Для загрузки выберите вариант из формы ниже:
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「父が好きな空の色じゃ わが父ならばどうすると思う?」 「間違いなく引くことと存じます 信玄公は十分なる勝ち目なき戦いは決してなさいませんでした」 「その通りじゃ だから武田信玄は天下をとれなかった 手堅い勝利を百重ねようが、一の神業には及ばぬ」 (しばし沈黙) 「まもなく逃げ道がふさがれる 正面の敵は3万 待ち構える鉄砲組は千を超える 直ちに引くのが上策である だが...引いてしまってよいのか 目の前に信長と家康が首を並べておる このような舞台はもう二度とないぞ 命ながらえたいものは止めはせぬ、逃げるがよい だが、戦場に死して名を残したいものには 今日よりふさわしきはない! わが父が申しておる 敵は織田信長 武田信玄を超えて見せよと! 我が最強の兵どもよ 信長と家康の首をとってみせよ お前たちの骨はこのわしが拾ってやる!」 マンガみたいと思いながら、毎週かかさず「どうする家康」を見ています。 この長篠の戦を前にした、武田勝頼のスピーチは、めちゃくちゃハートを射抜かれました。やっぱり日本人は、勝敗を超えた潔い散り際に美しさを見出す民族なんでしょうか。 そして、ししのかしらの眞栄田郷敦がすごいかっこよくて、涙腺崩壊。 だよねー、だよねー。 お父さんが偉大だと男の子は父子の関係も己の人生も大変だよねー。 なんというか、新たな切り口の武田勝頼像だった。 その勝頼ともゆかりのあります今回の岩殿山というのは、山なんですけど城でもありまして...。勝頼の家臣、小山田信茂の詰城だったと言われています。 1582年の織田軍による甲州征伐の際、新府城(韮崎市)を焼き払って、岩殿山城で籠城しようとした勝頼でしたが、小山田信茂に裏切られて入ることができなかった山城です。 窮した勝頼は、天目山(山梨県甲州市)の戦いをもって自害。 こうして、甲斐武田氏は滅亡したのです。よよよ。 その、武田勝頼がたどり着けなかった岩殿山城に!いざ参る! というわけで、今回は、畑倉登山口から登り、本丸跡から大手門、築坂峠、兜岩、天目山、呼ばわり谷の大岩壁...というルートで歩きました。 実はこのルート、「落城の道」でした。 勝頼を拒んだ小山田氏もじきに滅亡します。 小山田信茂は、織田に寝返ったのに結局は織田(北条)勢に攻められます。 信茂側室の千鳥姫は従者の小幡太郎らに護衛されながら、信茂の次男「賢一郎」と赤子の万生丸を連れて脱出を図ります。 そのルートが、今回私が歩いたルートのようです。 呼ばわり谷の大岩壁まで来たとき、万生丸が泣き出したため、追手に悟られぬよう小幡太郎は千鳥姫から万生丸を取り上げ、大岩壁から投げ捨てた...! なんということ! それから...この150mの岩壁を稚児落しと呼ぶようになったそう。 そして一行は、がんがががすりやま...いや、雁ヶ腹摺山方面へ落ち延びたらしい。 (なんか万生丸は生きてた説もあり) それにしても、岩殿山城は東西に長い大きな岩山をそのまま城にしています。 全方面が急峻で、南面は西から東までほとんどが絶壁を連ね、北面も急傾斜。 東西から接近できますが、それも厳しい隘路を通らなければなりません。 (斜度がきつくて、アキレス腱がずっと伸びっぱなしで痛かった!) 子檀嶺岳のときにも思ったのですが、見晴らし台にたってみれば敵の動きは丸見えです。地の利を生かした天然の要塞です。 そして、冠雪した富士山の姿も美しく、古の人々も、同じように秀麗な富士山を見たんだろうなぁ、と感慨深く思いました。 岩殿山城がとても面白かったので、真田昌幸の岩櫃城(群馬県東吾妻町)にも行ってみたいと思いました。 真田昌幸は岩櫃城に勝頼を迎えたいと申し出たとありますが、それは実現していません。実行されていたら歴史は変わっていたかもしれませんね。 歴史に「もしも」はないのだけれど。 撮影日:10月29日(日)