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北大東島 沖縄本島の東方380km、隆起サンゴ礁でできた沖縄県最東端の島。まわりを全て断崖に囲まれ、島の中央はラグーン(礁湖)の跡で盆地になっている。1993年(明治36年)、南大東島と同じく八丈島出身の玉置半右衛門の会社が開発に着手、リン鉱石の採掘とサトウキビ栽培が進められた。「砂糖の島」とよばれるくらい一面にサトウキビ畑が広がり、沖縄県の機械化農業の先進地となっている。古来、大東諸島は「うふあがり島」(うふ=大きい、あがり=東の意)と呼ばれ、沖縄本島では海上はるかな神の国として信仰する人もいたという。(「シマダス」参考) 北大東島は、戦前、南大東島と同様、玉置商会~東洋製糖~大日本製糖(現在の大日本明治製糖の前身)が島全体を所有する「社有島」であり、燐鉱事業で大いに栄えた。島には、西港、江崎港、北港と三ヶ所あるが、そのうちの一つ、西港は燐鉱石の積み出し港だった場所。港直結で、リン鉱事業施設(旧東洋精糖の遺構)が多数残り、登録文化財となっている。 また、島全体には南大東島同様にサトウキビ栽培の農村が広がっており、集落形態は散居村である。 南大東島 沖縄本島の東方372kmにある島。北に8kmへだてて北大東島がある。隆起珊瑚の島で、北大東島とともに世界でも十数島しか例のない地形の島。周囲は高さ10〜20mの絶壁に取り囲まれ、中央部は盆地になっており、池沼が点在する。古来から大東諸島は「うふあがり島」(「大きい東の島」の意)として知られていた。17世紀半ばには欧州の地図にも登場するが、位置や島数が不正確だった。19世紀には英国海軍水路誌や欧州の地図に北・南大東島が「ボロジノ諸島」として記載されている。「ボロジノ」の名は、当時北・南大東島を発見したロシアの海軍佐官ボナフディンの乗る艦名「ボロジノ」にちなむといわれている。定住は1899年(明治33年)、八丈島出身の玉置半右衛門が有志22人とともに開拓に着手したことに始まる。以来、サトウキビ単作栽培の島として発展し、昭和58年までサトウキビ運搬のための沖縄県唯一の鉄道もあった。現在も島の面積の約60%の耕地面積のほとんどがサトウキビ畑になっており、関東・八丈島の文化と沖縄の文化とが入り混じり、独特の文化環境を育んでいる。(「シマダス」参照) 旧琉球国の中になかったのもあり、個々の建物の様式は沖縄っぽいようでそうでもない。赤瓦はほとんどなく、ハナブロックの鉄筋コンクリート造民家も数が少ない。特徴は、製糖事業施設の建物を中心に、石灰岩を積んだ外壁が見られること。これは、北大東にも共通している。中心集落の在所地区は、工場門前町の性格が強く、どこが工場の正門なのかわからないくらい街と工場が一体化しており、一本の通りを中心に夜の飲食店や娯楽施設が並んでいる。農村部の集落は散居形態で、写真だけ見せられたら北海道と答えてしまうほど近代農業地の景観である。