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樺太・千島交換条約, by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=2... / CC BY SA 3.0 #日露二国間条約 #日露国境 #ロシアの植民政策 #明治時代の外交 #千島国 #北海道の歴史 #樺太の歴史 #千島列島の歴史 #サンクトペテルブルクの歴史 #1875年の条約 樺太・千島交換条約 樺太・千島交換条約(からふと・ちしまこうかんじょうやく)は、明治8年(1875年)5月7日に日本とロシア帝国との間で国境を確定するためにサンクトペテルブルクで署名され、同年8月22日に東京にて批准され締約された条約。 千島・樺太交換条約や、署名した場所からとってサンクトペテルブルク条約(、)と呼ぶ場合もある。 日本とロシアとの国境は安政元年(1855年)の日露和親条約において千島列島(クリル列島)の択捉島と得撫島との間に定められたが、樺太については国境を定めることができず、日露混住の地とされた。1856年にクリミア戦争が終結すると、ロシアの樺太開発が本格化し、日露の紛争が頻発するようになった。箱館奉行小出秀実は、樺太での国境画定が急務と考え、北緯48度を国境とすること、あるいは、得撫島から温禰古丹島(オネコタン島)までの千島列島と交換に樺太をロシア領とすることを建言した。徳川幕府は小出の建言等により、ほぼ北緯48度にある久春内(現:イリンスキー)で国境を確定することとし、慶応2年(1867年)、石川利政と小出秀実をペテルブルクに派遣し、樺太国境確定交渉を行った。しかし、樺太国境画定は不調に終り、樺太はこれまで通りとされた(日露間樺太島仮規則)。これにより幕府とロシアは競うように樺太に大量の移民を送り込みはじめたので、現地は日本人、ロシア人、アイヌ人の三者間の摩擦が増えて不穏な情勢になった。 日露間樺太島仮規則では、樺太に国境を定めることができなかったため、明治に入っても、日露両国の紛争が頻発した。こうした事態に対して、日本政府内では、樺太全島の領有ないし樺太島を南北に区分し、両国民の住み分けを求める副島種臣外務卿の意見と、「遠隔地の樺太を早く放棄し、北海道の開拓に全力を注ぐべきだ」とする樺太放棄論を掲げる黒田清隆開拓次官の2つの意見が存在していた。その後、副島が征韓論で下野することなどにより、黒田らの樺太放棄論が明治政府内部で優勢となった。 明治7年(1874年)3月、樺太全島をロシア領とし、その代わりに得撫島以北の諸島を日本が領有することなど、樺太放棄論に基づく訓令を携えて、特命全権大使榎本武揚はサンクトペテルブルクに赴いた。榎本とロシア外務省アジア局長、アレクサンドル・ゴルチャコフロシア外相との間で交渉が進められ、その結果、樺太での日本の権益を放棄する代わりに、得撫島以北の千島18島をロシアが日本に譲渡すること、および、両国資産の買取、漁業権承認などを取り決めた樺太・千島交換条約を締結した。 樺太・千島交換条約の正文はフランス語である。ロシア語および日本語は正文ではなく、また条約において公式に翻訳されたもの(公文)でもないため、条約としての効力は有していない。日本語訳文には、第二款のクリル群島の部分に食い違いがある。 ここにおいて問題とされるのは、下線部の「(定冠詞) (グループ) (の) (島、島々) (いわゆる) (クリル)」である。これを繋げると「クリル諸島の特定のグループ」という意味になる。また、qu'Elle以下の従属節が上記引用の訳文の「現在自ら所有するところの」に相当するが、この制限用法の関係代名詞は直前のKourilesではなく、一般名詞のle groupeを修飾すると解釈するのが自然である。つまり、正文のフランス語の意味するところは「いわゆるクリル諸島の中の、現在所有するところのグループ」ということとなる。一方、日本語訳文では「現今所領『クリル』群島」と訳されており、「グループ」に対応する語として「群」と言う字が表れるが、単独の語として訳されていない。したがって「現今所領」「『クリル』」「群島」はすべて同じものを指すとの解釈が成り立つ。このため、日本語訳文ではクリル群島がここで挙げられている択捉水道より北の18島だけのように読めるが、フランス語正文では上述の通りそのように解釈は成立しない。また、フランス語正文では「従って、上述のクリルの諸島のグループは日本国に属する」とされている部分が日本語訳では欠落しており、それに代わって『而今而後「クリル」全島ハ日本帝国ニ属シ』の句が挿入されている。いずれにせよ日露和親条約において得撫島より南、択捉島以南のいわゆる北方四島はすでに日本領として確定していたため、樺太・千島交換条約においてこの誤訳が問題とな...