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熊本県の南部にある鄙びた日奈久温泉の町並です。 熊本県の中央南西部、急流球磨川の河口、八代市街の南西約10kmで八代海に面して日奈久町は位置する、古くからの温泉地。 江戸時代を通じて熊本藩領で、日奈久村のうちに温泉町として発達した町場を日奈久町としたもの。 温泉は応永16年(1409)夢のお告げを受けた浜田六郎佐衛門によって発見されたと伝える。明暦3年(1657)藩主細川綱利による藩営温泉浴室大改装が行われ、一段と温泉場として賑わうようになった。寛文9年(1669)には藩主が入湯しているなど、薩摩街道沿いの日奈久温泉は参勤交代のルートにもあたり、参勤の行列や旅人がよく利用した。薩摩藩主は参勤交代の際、海路で日奈久港に入り、藩営浴場を利用する慣習があった。 文化・文政年間(1804~30)の全国温泉番付によると日奈久温泉は前頭9枚目に登場している。 日奈久港は元治元年(1864)の英国船入港をはじめとする黒船来航及び近隣を結ぶ航路の要地として賑わいをみせ、日奈久湊上番所・下番所も置かれていた。 日奈久村は明治22年には旅籠数25で、明治24年の家数604・人数3,186とある。明治14年発行の「日奈久温泉案内」によると主な旅館は16、他に旅籠・木賃宿など各数十軒とある。 明治36年国道(現国道3号線)が貫通し、温泉地として更に活気を呈し、大正12年には鹿児島本線(現肥薩おれんじ鉄道)が八代~日奈久間に開通し、日奈久港における定期船とともに湯治客誘致が促進された。 温泉浴客数は明治44年14万人、大正6年15万人、大正8年26万人、大正13年25万人とある。明治には日中戦争の拡大に伴って熊本陸軍病院の分院がこの地に設けられ、金波楼を療養本部として町内の主な旅館が病棟とされた。 また、明治には宿も増え、名士たちも多数やってきたといい、昭和5年には俳人種田山頭火も織屋旅館に宿泊している。 現在では鄙びた温泉地のイメージが強い。地元では各種施設を新設したり、復活させたりして、観光客獲得に力を入れている。 木造3階建ての金波楼を筆頭に、明治・大正・昭和初期に建てられた木造建築が主流を占める旅館街であり、それを取り巻く古い民家で構成する温泉街である。大きなホテルや巨大旅館に馴れた観光客を誘致するにはなかなか厳しい面があるが、その分ソフト面で補うための努力がなされていて、微笑ましく感じた町並み探訪だった。