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鎮大(しずめ だい)神社 長野県上伊那郡辰野町沢底(さわそこ) no.0150 御祭神は少彦名命だが かつての当地の歴史書『朝日村史』には 明治42年(1909年)に 本来お祀りした経津主命を誤って 役所に少彦名命と申請したと 記されているという 少彦名命は当社では 幼児期の自律神経の未発達や ストレスで起きる情緒不安定さ 「疳(かん)の虫」を治す 「虫封じ」の御神徳として知られる また隣接する茅野市の虫倉山と同様に 「疳の虫」を断ち切るために ハサミを奉納する習慣が 当社境内でも見られる このため 子どもの名前とともに ハサミの絵を描いて 絵馬のように奉納されている また疳の虫封じに関連して 子育ての御神徳もあることから 子どもの成長祈願をする 宮詣(みやもうで)が行われ 成長祈願のための扇が 虫封じのハサミが描かれた絵とともに 奉納されている この扇は 要(かなめ)の部分から 真綿や麻苧(あさお)を垂らし 「白髪」に見立てることで 幼い子どもが 白髪になるまで長生きするようにと 願いが込められているという そんな民俗学的にも 貴重な習慣の残る 当地・沢底(さわそこ)は 中世には沢底(させこ)と 呼ばれており 諏訪大社上社の現人神である 大祝(おおほうり)・諏訪氏の庶流 小坂氏出身で 室町幕府の奉公人も務めた諏訪円忠が 延文元年(1356年)に製作した 「諏方大明神画詞(えことば)」に 沢底(させこ)の地名が現れるという 中世の諏訪大社上社の 「御頭祭(おんとうさい)」では 大祝・諏訪氏の代理・神使(おこう)が 諏訪信仰の外縁部である 当地・伊那郡北部を巡る 「湛廻(たたえまわり)」を行った際に この沢底(させこ)村を最後に訪れてから 諏訪に帰ったという 神使(おこう)が巡る 諏訪大社上社の信仰圏は 内県(うちあがた)、小県(おあがた) 外県(とあがた)に3分割され 当地を含む伊那郡北部は 外県に分類されたという こうした諏訪大社上社の影響が 強い土地柄から境内社には 諏訪社とともに社宮司(シャグジ)社が お祀りされている 社宮司社が祀るミシャグジ神は 信濃国諏訪郡を中心に分布し 諏訪大社上社の祭祀を司る 神(じん)長官・守矢家の祖神とも言われる 正体不明の神であり 民俗学者・柳田國男の『石神問答』や 宗教人類学者・中沢新一氏の 『精霊の王』などの著作で 考察の対象となった神としても 知られている こうした経緯から当社は 中沢新一氏の『精霊の王』でも 取り上げられ 諏訪信仰を主題にした ドキュメンタリー映画『鹿の国』の 舞台にもなっているという そんな歴史深い 当社の創建年は不詳だが 社宮司社、諏訪社、神明社、八王子社 山神社、白山社、弁天社、稲荷社の8社が 明治41年(1908年)に現社地に 合祀されたと言われる 合祀以前の社名は 元禄3年(1690年)の記録に 当社と見られる「鎮目明神」があり 社名の表記から「目」の治癒にまつわる 御神徳があったとも言われる また境内社・諏訪社の社殿は 享保10年(1725年)に 三河国牛窪(現・豊川市)より移住した宮大工 加藤吉左衛門(きちざえもん)重栄(しげよし)が 建立したとされ 加藤重栄は 宝暦年間(1751〜64年)には 本殿を建立し 牛窪流彫刻の集大成として 見事な彫刻が刻まれたという このほか境内の脇には 慰霊碑とともに 養蚕業・紡績業が栄えた当地周辺 諏訪郡、上伊那郡を中心に 明治〜大正期にお祀りされた 蚕玉(こだま)神の像が鎮座する 蚕玉神のお姿は インドから空飛ぶ船に乗って 日本に養蚕業をもたらした 伝説の「金色姫」を模した女神が 蚕と桑の葉を手に持ち 財運を表すかのように 巾着の宝袋、打ち出の小槌などが 周りに掘り込まれた 石像となっている また近隣には 日本最古の道祖神とも言われる 「永正2年(1505年)」の銘が刻まれた 道祖神が鎮座しており 当地の歴史の長さを感じさせる また当地は諏訪大社上社の 大祝・諏訪家を中心とした武士団 諏訪神(しん/みわ)党の一角を成した 有賀氏の本拠地でもあり この沢底地区も有賀姓の方々が 多く暮らしているという このほか沢底地区では キンポウゲ科の多年草 福寿草の群生地であり 参拝時には「福寿草祭り」が開催中で 田畑の土手や民家の間に 黄色い花々が咲いていた そして江戸時代の当地 伊那郡沢底村は 高遠藩領387石だった