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カルマパ17世, by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=1... / CC BY SA 3.0 #20世紀の僧 #21世紀の僧 #化身ラマ #チベットの僧 #仏教菜食主義 #菜食主義者 #チャムド出身の人物 #1985年生 #存命人物 カルマパ17世 (2009) カルマパ17世(1985年6月26日 - 、在位1992年 - )、ウゲン・ティンレー・ドルジェ(チベット文字: ཨོ་རྒྱན་འཕྲིན་ལས་རྡོ་རྗེ།、ワイリー方式: o rgyan 'phrin las rdo rje、英語: Ogyen Trinley Dorje)は、チベット仏教カギュ派の最高位の化身ラマであるカルマパの第17世。 チベット北部カム地方チャムド県出身。 チベット族。 亡命先のアメリカで入寂(1981年11月)したカルマパ16世の転生者として、中華人民共和国国務院国家宗教情報局ならびにダライ・ラマ14世によって認定された。 カルマパ16世にもあった太ももの黒あざが転生の認定時の判断材料にもなった。 中華人民共和国で初めて認定された化身ラマである。 先代のカルマパ16世はダライラマ法王と同じ1959年にインド亡命後、シッキムで活動し、1981年にアメリカで死亡した。 カルマパ16世の死後、転生者探しがカギュ・カルマ派伝統の4人の高位の化身ラマからなる摂政団(シャマル・リンポチェ、シトゥ・リンポチェ、ジャムゴン・コントゥル、ギャルツァブ・リンポチェ)によって始まった。 シトゥ・リンポチェがカルマパ16世の遺書を発見し、それを根拠にして選んだのがウゲン・ティンレー・ドルジェであった。 1992年5月にダライ・ラマ14世はウゲン・ティンレー・ドルジェを正式にカルマパ17世として承認した。 他方、中国政府は1989年1月にパンチェン・ラマ10世を失い、同1989年12月にはダライ・ラマ14世がノーベル平和賞を受賞するなど、中国のチベット政策は苦境に立たされていた。 カルマパ17世が認定された翌月の6月25日、中華人民共和国国務院は認定文書を発表した。 チベット亡命政府はダライ・ラマ14世の承認通り、ウゲン・ティンレー・ドルジェをカルマパ17世として紹介している。 また、ダライ・ラマ14世は、ウゲン・ティンレー・ドルジェをカルマパ17世とする決定が変更されることは、今後ともありえない、と言明している。 なお、ジャムゴン・コントゥルは転生者捜索の旅の途中、交通事故で亡くなっている。 2000年にヒマラヤ山脈を越えて、チベット自治区からインドに逃亡し、難民認定を経てそのままインドに亡命した。 もともと、8歳でカルマパ17世と認定されてから、中国政府側の厚遇を受けており、比較的自由を与えられていたとされる。 中国政府と中国共産党はカルマパ17世を、亡命中のダライ・ラマ14世に代わる親中国共産党派のチベット仏教指導者に育てあげようと考えていた。 しかし、カルマパ17世は仏教修行のためにインドへの旅行を希望し、それを中国政府に度々打診したが断られ続けた。 その後は当局からの監視がいっそう強くなった上に、1998年にはツルプ寺で中国人2人によるカルマパ17世の暗殺未遂事件がおこった。 カルマパ14歳の1999年12月28日の夜、中国政府の番人たちの目をそらせた隙にツルプ寺の寝室から、用意された車に飛び乗った。 一般人の姿をして、カルマパの姉を含む侍従5人と2人の運転手と共にネパール国境へと進む。 僧院ではカルマパが自室にいるように見せかけるため監視の番人には、カルマパは長期の瞑想修行に入っていると説明し、僧侶らが毎日部屋に訪れていたという。 中華人民共和国は、カルマパ17世は歴代のカルマパ(カギュー派黒帽活仏)の法器・黒帽を探索しにいく旨を書き記した置手紙を残したと発表し、カルマパ17世がすぐに中国に帰国することを示唆した。 しかし、インドに姿を現したカルマパ17世本人はこの話を否定し、自分の行動が中国の束縛を逃れての亡命であることを明言した。 ネパールの首都カトマンドゥを経てインド国内に入る。 そこまでの交通手段は徒歩や馬、列車、バス、レンタカーを乗り継いだとされる。 ムスタン南部を抜ける際には僧侶がチャーターしたヘリコプターを利用し、逃亡中の資金や食料は信者が支援(供養)した。 8日間に及ぶ逃亡によってカルマパの足は凍傷し、顔の皮膚もひび割れていた。 2000年1月5日早朝にチベット亡命政府のあるダラムサラ近郊のゲストハウスに到着。 同日、ダライラマ14世と面会を果たしてその祝福を受けた。 ダライラマ14世とカルマパ17世が一緒に移っている写真は日本や世界各国で...