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(1)プ ロ ロ ー グ *大井三ツ又商店街 昭和20年代の写真。人通りの多い商店街を走るバス。 これは終戦直後に撮られた写真である。 *『カメラの森商会』元店主(故)森義雄さん 撮影したのは森義雄さん。カメラ店『カメラの森商会』を 営む傍ら、昭和20年代から、大井三ツ又商店街や当時の 大井町駅南口周辺の記録をカメラに収めている。 (明治41年(1908年)生まれ~平成9年(1997年)没) 長男 森秀雄さん 「父は太平洋戦争前、写真の問屋さんに勤めていた。経済的にも時間的にも余裕があったので、自分の好きな写真を撮るという作業をしていた」 (昭和22年(1947年)生まれ) 一方、こちらは昭和30年(1955)生まれの石井さん。 *音楽家・ジオラマ作家 石井彰英さん「国鉄の大井町駅。いまはJRの駅ビルになった。駅舎も面影は、まったくない。すべて大井町は昔の方がいい」 (昭和30年(1955年)生まれ) *タイトル:しながわのチカラ 『大井町メモリーズ』 *アルバム 森商会が所蔵する貴重な写真の数々。 大井町駅周辺で暮らした人たちの思い出。 大井町の記憶をひもとくとしよう。 (2)大井町駅周辺の歴史と萩原朔太郎 *大井町駅 JRや東急、りんかい線が乗り入れる大井町駅。 開業は大正3年(1914)。周辺地域は駅とともに発展した。 大井町緑地児童遊園 *花子と太郎の像 大井町駅に、ほど近い場所にある「花子と太郎」の像。 これは詩人・萩原朔太郎の詩集「青猫」をモチーフにした 記念碑である。 *萩原朔太郎『青猫』より一部抜粋 *花子と太郎の像(背景) かなしい人類の歴史を語る 猫のかげだ われの求めてやまざる 幸福の青い影だ *写真 口語の自由詩で、けん怠と憂鬱を繊細に表現した萩原朔太郎。 詩集『青猫』を発表した2年後の大正14年(1925)大井町に 住居を構えた。 萩原朔太郎『大井町』より一部抜粋 ※朗読 『大井町! 煙突と工場と さうして労働者の群がつてゐる あの賑やかでさびしい街に 私は私の住居を見つけた 』 大正時代の大井町駅周辺は紡績関係の工場が立ち並び、 昭和にかけて市街地化が進んだ。 品川郷土の会副会長・野口さんにお聞きした。 品川郷土の会副会長 野口健夫さん「阪急百貨店の敷地は明治~大正まで 後藤毛織(東京毛織)の紡績工場。イトーヨーカドーの辺りまで全部、非常に大きな工場だった」 いまでも大井町駅周辺には紡績工場のれんがが、残って いる。 (3)森商会・森義雄さん かつて紡績工場で使われたれんがの写真。撮影者は森秀雄さん。 *森商会写真 森さんは令和4年(2022)まで大井三ツ又商店街でカメラ店『カメラの森商会』を営んでいた。 *『カメラの森商会』元店主 森秀雄さん 「父の写真を整理していて大変な数の写真のなかに、これは残すべき写真じゃないかという写真がかなりあった。僕の生きてる時代にも消え去るものはいくつもある。この近くを探してみたら、紡績工場のれんがが、残っていた。いま、残さなければということで撮影した」 *(故)森義雄さん 秀雄さんの父・義雄さん。昭和20年代から 大井町駅周辺を撮影。貴重な記録を残している。 *長男 森秀雄さん 「父は太平洋戦争前、写真の問屋さんに勤めていた。戦争によって問屋がなくなった。当時父は中延に住んでいた。戦後 中延から大井町方面を見ると焼け野原で何もない。すべて見渡せるような状況だった。それを見て父は大井に移り、ここにお店を作ろうと決心したらしい」 *森商会(昭和21) 森商会は昭和21年(1946)に創業。長男の秀雄さんの代 まで、このまちをみつめてきた。 *長男 森秀雄さん 「うちの父は自分の好きな写真を撮るという作業をしていたが、記録として後世に残そうという意図があったかどうか僕にはわからない」 *鐘紡ビル 昭和20年代の鐘紡ビル。紡績工場から昭和の初めごろ 鐘紡(カネボウ)が引き取った建物。このビルは後に 阪急百貨店が引き継ぐことになる。 *三ツ又商店街 昭和20年代前半の三ツ又商店街。高い建物はすべて焼け、 仮設の建物・バラックの商店が立ち並んだ *長男 森秀雄さん 昭和22年(1947)生まれの森さんに、子どものころの思い 出を伺った。 *長男 森秀雄さん 「非常に狭い商店街で主に物販の店があった。バスも通行していて、かなりにぎやかな商店街。 この商店街の上と下の入口。それと鉄道と阪急百貨店の間に昭和28年(1953)にアーチが完成。戦争が終わって8年後に、あれだけのアーチを作った。この商店街の店主たちの情熱と決断はたいしたものだったと感心する」 *長男 森秀雄さん 「当時の道路は阪急百貨店前から鉄道沿いを進み 三ツ又商店街を通行しないと池上通りには抜けられなかった 路線バスも自動車も商店街を通行していた」 当時は三ツ又商店街が主要道路であった。 *長男 森秀雄さん 森さんが向かったのは… *長男 森秀雄さん「阪急百貨店の前、オープン当時は立会川が流れていた」 *昭和31年(1956)の阪急百貨店。建物の前には橋がかけられていた。 *長男 森秀雄さん「これが昔の橋の跡 親柱という これと向こうにある」 ここにはかつて立会川にかかる橋があった。川は線路の下をくぐり、暗きょとなった今も流れている。 *昭和35年(1960)ごろ、この辺りの立会川は暗きょになったようである。 *阪急百貨店は昭和28年(1953)。カネボウのビルを改装してオープンした。 *長男 森秀雄さん 「いまも続く大井どんたくまつり。昭和29年(1954)に阪急百貨店が始めた。商店街の売り出しにも阪急百貨店に協力してもらった。阪急百貨店は地元と一緒に大井町を盛り上げようとしてくれた。大変、阪急百貨店には地元の商店街、住民は恩義を感じている」 *昭和32年(1957)ごろの東急大井町線大井町駅。この駅は 昭和2年(1927)目黒鎌田電鉄の駅として誕生した。 *大井町駅南口 国鉄からJRまで、まちとともに歩んできた大井町駅。 平成になると大きな変化があった。 *大井町駅南口 長年、親しまれてきた南口が解体。 平成5年(1993)に駅ビルが完成。かつての南口は中央西口 と呼ばれるようになる。 阪急大井町ガーデン 一方、阪急百貨店は平成23年(2011)複合施設「阪急大井町ガーデン」となった。 (4)石井彰英さん(昭和30年~思い出) *石井彰英さん 昭和30年(1955)から二葉で暮らす石井さん。平成28年 (2016)ごろまで学習塾を開き、地元の子どもたちの成長を 見守ってきた。 *音楽家・ジオラマ作家 石井彰英さん 「学習塾経営のだいご味は、塾生たちが成人した、いまでも遊びにきてくれること」 *動画「僕たちが育った町 品川 大井町」 音楽活動もする石井さんはJR大井町駅開業100周年を記念して、自らの作詞作曲によるメロディーにのせた映像を制作した。 *石井彰英さん 「昭和58年(1983)ごろ仲間とバンドを組んだ。『My Nest Town』を作詞作曲した。ほとんど英語だった歌詞を日本語に訳した。昭和20年~30年代の写真を載せて映像にした。「なつかしい」と言ってくれる年配の人が多いのでうれしい」 *ジオラマ ジオラマ作家としても活動する石井さん。昭和30年~50 年ごろの大井町駅周辺をイメージしてジオラマを作った。 *石井彰英さん 「ここら辺が闇市の跡 大井町のジオラマは闇市の跡を再現したくて着手した いまの80歳ぐらいの先輩たちにもアドバイスを受けた 誰も闇市の詳細は分からなかった」 そこで、石井さんに案内していただいた。 *石井彰英さん 「イトーヨーカドーの周辺が一番変わった 昔は闇市だった ベニヤ張りの二坪ほどの酒場がたくさんあって 怖い場所だった」 テロップ「平成9年(1997)駅の東口側にあったイトーヨーカドーが現在地に移転した」 (5)未来 石井さんが将来、このまちに期待することとは… *石井彰英さん「大井町の文化を大切にする人たちがもっと出てきてほしい」 *駅開業とともに大きく発展した大井町駅周辺。終戦から、まちを見守ってきた人たち。 これからも、自分たちのまちを、暖かい目で見つめていくことであろう。