У нас вы можете посмотреть бесплатно 【第6回:禅僧の逸話に学ぶ】 花園大学総長 横田南嶺 | 禅・仏教講座「禅とこころ」 2024年12月17日(火) или скачать в максимальном доступном качестве, видео которое было загружено на ютуб. Для загрузки выберите вариант из формы ниже:
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「建学の精神」である禅仏教による人格の陶冶をテーマに、「禅・仏教講座」として開設しています。 禅の世界をあらゆる角度から捉え感得するため総長、学長、仏教学科教員を中心に授業を展開し、その他、いす坐禅・読経など実践を行います。 「知識としての禅」から「感じとる禅」への転換をテーマとし、「自分だけにしかないいのちを生きる」ことを目標とした講義です。 なお、学生向けに配信している総長講義のみ、順次公開させていただきます。 禅とこころ 令和六年十二月十七日 横田南嶺 神仏分離 しんぶつぶんり 明治のはじめに維新政府がとった、神道と仏教を分離する政策。神道の国教化と、神孫としての天皇の宗教的権威確立のため、1868年(明治1)3月から諸社に対して下された、社僧の還俗強制、仏像を神体とすることの禁止、社頭からの仏具の除去、神職に対する神葬の強要、などを内容とする一連の指令をいう。この神仏分離令は全国に廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)の嵐を巻き起こし、多数の文化財が破壊され膨大な廃寺が生じたが、真宗を中心とする仏教界の反対を受けて、政府も沈静化を目指した。 廃仏毀釈 はいぶつきしゃく 明治政府によって1868年(明治1)以来とられた神仏分離政策に伴う、寺院を破却し僧侶を還俗(げんぞく)させるなどの仏教廃止運動をさす。明治以前は全国いたるところで寺院と神社は神仏習合しており、大社においても別当僧が神官を兼ねたり、神体を仏像にしている例が多かった。檀家制度に支えられた寺院は経営が安定しており、神社を支配していることが多かった。 荻野独園(一八一九~一八九五)備前生まれ。 京都相国寺の大拙承演に参じて印可を得る。 安政二年一〇月、承演示寂。越渓守謙、相国寺僧堂を司り、独園は西堂となる。 明治三年、越渓のあとをうけて相国寺住持となる。 同五年教部省設置に伴い、神佛併合大教院の教導職となり上京、大教正の資格を得て大教院長となり、臨済曹洞黄檗三宗総管長を兼任す。 総持寺の旃崖奕堂とともに宣教の自由獲得のために尽力す。 また廃佛のために毀たれた九州地方の寺院の復興に努力す。 明治二八年八月一〇日寂。世寿七七。法臘六四。 中原鄧州(一八三九~一九二五)肥前生まれ。 天保一〇年(一八三九)4月3日、長崎県唐津にて生まれる。 嘉永二年(一八四九)十一歳 平戸(長崎県) 雄香寺の麗宗全沢の下で出家。 安政三年(一八五六) 十八歳 圓福僧堂(京都府) に掛塔。 安政五年(一八五八) 二十歳 圓福僧堂に 「誓詞の松」を植え、大悟の大願を立つ。 明治二年(一八六九) 三一歳 大成寺 (山口県) に住し 『臨済録』 を講じる 明治二四年(一八九一)五三歳 松島(宮城県) 瑞巌寺に入る 明治二六年(一八九三)五五歳「宗匠検定法」を本山へ提出。 明治三五年(一九〇二)六四歳 西宮(兵庫県) 海清寺入寺。 以後二十二年「人作り」に東奔西走。 大正七年(一九一八) 八十歳 海清寺開山・無因宗因禅師 500 年遠諱厳修。 その際、自身の 「入定式」 (生前葬)を行う。 大正一四年(一九二五)八七歳 二月一二日遷化。 釈宗演(一八五九~一九一九)若狭生まれ 安政六年 (一八五九) 十二月十八日 福井県高浜一瀬家に生まれる 明治三年 (一八七〇)十二歳 越溪について得度 明治十一年(一八七八)二十歳 円覚寺洪川に参じる 明治十六年(一八八三)二五歳 洪川に印可され十一月立班式を行う 明治十八年(一八八五)二七歳 慶應義塾に修学 明治二十年(一八八七)二九歳 セイロンに遊学 明治二五年(一八九二)三四歳 洪川遷化 円覚寺管長就任 開堂 明治二六年(一八九三)三五歳 シカゴ万国宗教大会に渡米 明治三八年(一九〇五)四七歳 建長円覚両派管長を辞し東慶寺に遷る 六月よりアメリカ、ヨーロッパ印度巡遊、翌年九月帰朝 大正三年 (一九一四)五六歳 臨済宗大学長となる 大正五年 (一九一六)五八歳 六月円覚寺派管長再任 大正六年 (一九一七)五九歳 臨済宗大学長を辞す 大正八年 (一九一九)六一歳 六月病臥 十一月一日遷化 『禅文化』一六八号 一九九八年 戦争という手段に訴える前にー万国宗教会議講演録(一八九三年 於シカゴ) 釈宗演老師 安永祖堂老師訳 そもそも、戦争が私達に何をもたらしてくれるというのでしょう? 何も、もたらしてはくれません。戦争とは、弱い者が、強い者に虐げられることに過ぎないのです。戦争とは、兄弟同士が争い、血を流し合うことに他ならないのです。戦争とは、強い者が、結局何も得るものがない一方で、弱い者が、すべてを失うことなのです。 私達は、しばしば、人類はみな兄弟といいますが、互いに身構え、武器を向け合うとなれば、なんと面倒な兄弟の間柄なのでしょう。 …しかし、私達の願いは、どのようにすれば、本当にかなえられるのでしょうか? それを助けてくれるのが、真の宗教なのです。真の宗教が、慈悲と寛容の源なのです。真の宗教の本分は、普遍的な人類愛と恒久の平和という崇高な願いの実現にあるといえるのではないでしょうか。そして、そのために、私達が中心となり、原動力とならねばならないのではないでしょうか。今回、この場におあつまりいただいている皆様と私どもが、率先して範を示さなければならないのではないでしょうか。 そのためにも、人種の違いで、差別があってはいけません。文化の違いで、差別があってはいけません。思想や信条の違いで、差別があってはいけません。 信仰や宗派の違いで、差別があってはいけません。皆様には、私どもが、キリスト教徒でないからといって、皆様の国から立ち去れと言って欲しくありません。私どもが、黄色人種だからといって、自分の国に帰れと言って欲しくありません。 生きとし生けるものは、普遍の真理に抱かれて生きているのです。 真理の場において、家族であり、兄弟なのです。だからこそ、互いに理解を深め、真理の場にふさわしい、本当の家族、兄弟となるよう、ともに努めようではありませんか。 願わくば、私達の普遍の真理に栄えあらんことを。 (本稿は、ニーリイ版『宗教会議の沿革』所収のものからの翻訳である)