У нас вы можете посмотреть бесплатно 東日本大震災で両親を亡くした少年は21歳に 支えと葛藤の15年、自ら選んだ道へ 岩手県 (26/03/10 или скачать в максимальном доступном качестве, видео которое было загружено на ютуб. Для загрузки выберите вариант из формы ниже:
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東日本大震災から2026年3月11日で15年です。 両親を亡くし、祖母や公的な制度などの支えを受けて成長した青年は今、そうした支援から離れ自ら選んだ道を歩み始めようとしています。 及川晴翔さん(21)は、地元の岩手県陸前高田市を離れ宮城県仙台市の大学に通っています。 現在(2026年3月時点)は大学4年生、自分の生き方を模索しています。 及川晴翔さん 「急いで頑張って卒業しても、その後がどうなるか分からないので。それだったら少しだけ自分に余裕を持ったほうがいいかと思って」 時間をかけて進路を考えたいとの思いから、あえてもう1年、大学に残ることにしました。 「両親がいたら相談ができたのかもしれない」…ふと、そう考えることがあるといいます。 及川晴翔さん 「『しっかりしろよ』と喝を入れられたと思うけれど、自分が困ったときは道を示してくれていたと思うので、アドバイスをもらい、もっと早く進路を決めて、そっちに真っすぐ進むことができたなら、卒業のタイミングは変わったと思う」 晴翔さんは様々な思いや葛藤を抱えながら、この15年を歩んできました。 震災発生直後、晴翔さん(当時6歳)は両親が行方不明のなか、兄の佳紀さん(当時9歳)と共に小さな体で避難所の手伝いに励んでいました。 共に避難した母方の祖母・五百子さん(当時67歳)は、健気な2人を見守っていました。 祖母・五百子さん(当時67歳) 「頑張っているから、よろしいです。まだお母さんとお父さんの顔を見ていないから」 避難所に笑顔を振りまいていた2人。 しかし、その表情の裏には切実な願いがありました。 兄・佳紀さん(当時9歳) 「(両親は)来てくれると思う、頑張っていたら…」 「目立っていればお父さんとお母さんが見つけてくれる」そう信じて、明るく振る舞い続けていたのです。 しかし、父・徳久さん(当時39歳)、母・昇子さん(当時39歳)は、その後遺体で見つかりました。 当時の晴翔さんはまだ甘えたい年頃の小学1年生でした。当たり前の日常が失われた中、祖母の愛情のもとで真っすぐに成長してきました。 その後、地元の高校へ進学した晴翔さんは、部活動などで充実した日々を送っていました。 晴翔さんたち兄弟を引き取った祖母の五百子さんは、自身にとって二度目の子育てです。 兄の佳紀さんが進学のため家を出てからは、少しだけ広くなった災害公営住宅で晴翔さんの成長を支えていました。 震災から11年が経った2022年、晴翔さんは高校3年生になりました。 この頃から、朝食には手軽に食べられるパンを選ぶようになっていました。五百子さんに少しでも負担をかけないようにとの配慮からでした。 及川晴翔さん(当時17歳) 「慣れている。部活をやっていたときはちょっと足りなかったけど」 大学への進学が近づく頃、晴翔さんには自立に向けて“親離れ”を意識する様子が伺えました。 及川晴翔さん(当時17歳) 「(五百子さんは)俺と兄ちゃんの面倒を、ほぼ1人で見てきた。兄ちゃんも仙台に行って、俺も今年の春から仙台に行ったら、やり切った感が出て倒れたりしないか心配」 仙台へ引っ越しの日。五百子さんは、晴翔さんの背中を静かに見送りました。 手を振る晴翔さんに、「気をつけてね」と手を振り返す五百子さん。 仙台では友人もでき、順調な大学生活を過ごしていた晴翔さんでしたが、そうした中でも気にかけていたのは1人で暮らす五百子さんのことでした。 及川晴翔さん(当時18歳) 「あっちも年なので年齢からくる体調の変化や、1人になって寂しくしていないかとか、たまに電話をして確認している。声色的には明るい感じで話してくれる」 休日などに晴翔さんが帰省すると、五百子さんは顔をほころばせます。 「二十歳のつどい」の前日、門出を祝う食卓には晴翔さんの好きな豚汁が並びました。 及川晴翔さん(当時19歳) 「普段仙台にいて豚汁を食べることが全然ないので、たまに定食屋に行ってセットで頼むくらい。でもばあちゃんがつくってくれたのが一番おいしい」 成人式を翌日に控えた晴翔さんは、五百子さんに「あしたで私、成人式ですよ」と笑顔で話します。 「おめでとう」と返す五百子さんに、晴翔さんは「ばあさんのおかげです」と感謝を伝えました。 その言葉に涙があふれる五百子さん。 及川晴翔さん 「たくさん迷惑かけてきたけど」 五百子さん 「なんも、なんも」 「二十歳のつどい」では、紋付袴に身を包んだ晴翔さん。 及川晴翔さん(当時19歳) 「良かったなと思う。ちゃんと立派な姿を見せられて」 その成長した姿は、五百子さんにとって何よりの喜びでした。 そして2026年2月、晴翔さんは春休みを利用して再び陸前高田市へ帰省しました。 向かったのは、震災で亡くなった人たちを悼む刻銘碑です。 父・徳久さんと、母・昇子さんの名前の前で近況を報告しました。 及川晴翔さん 「4年間やってきて、プラスでもう1年。進路選択や将来設計を頑張ると伝えた」 そして、新たな決意も伝えました。 これまで晴翔さんは、震災遺児を支援する様々な制度のもとで生活してきましたが、その支援が2026年3月で終わることもあり、これからはアルバイトで学費と生活費を賄うと決めたのです。 祖母の支えや震災後の支援制度から離れて、自分の力で歩き始めようとしています。 及川晴翔さん 「自分の責任や自己管理を、今までの4年間以上にしっかりしなければいけない。この15年間で助けになってくれた人や支えてくれた人はたくさんいるので、そういう人たちに少しでも自分が頑張っている姿や元気な姿を見せられるよう、頑張りたいと思う」 そんな晴翔さんに、82歳となった五百子さんは変わらぬ愛情を注いでいます。 晴翔さんは、五百子さんにも今の思いを伝えます。 及川晴翔さん 「あと1年頑張って、できるだけいいところに就職ができるよう頑張るので、応援してくれるとありがたいです」 五百子さん 「頑張って。今年卒業だと思っていたけど」 あの日以来、様々な思いを抱えながら生きてきた15年。 支えてくれた存在に応えるために、晴翔さんは新たな決意で歩みを進めようとしています。