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コロナ禍が長引きまして色んな方に色んなダメージがある訳ですけども、対人関係って言うんですかね、人を相手にする仕事っていうのが特にダメージが大きなような気がするんですね。農業とか漁業とか自然を相手にする仕事っていうのは比較的影響が少ないんじゃないでしょうかね。そうは言っても流通・販売っていうものは全ての産業に関係してくるんで、どうしても色んな不都合が生まれてくる訳ですけども、そういう中で皆さん我慢してることってのが結構あるんじゃないかと思うんですけども。 我慢って言う言葉が現代日本では割といい意味で使われてるっていうのが我々僧侶からするとちょっと不満だったんですね。我慢ってもともと「七慢」と言いまして、七つの傲慢さの1つなんで、「しちゃいけない」ものなんですよ。我慢しちゃいけないと。もともとは頑張るという言葉もそうですよね。嫁いでいく娘に「あんまり頑張るんじゃないよ」って昔は言ったわけです。「我を張る」ですから、我を張っちゃいけないよっていう意味で言った訳ですけども、それを知ってか知らずにか、今は「向こう言って頑張りなさい」って言ってる訳ですよね。 同じように「我慢」っていうのも…しちゃいけない。何で我慢することになるのかという風に考えると、例えば不都合なことがあった時にそれに対して心の方をシフトするっていうんですかね、ちょっと心を変えれば事態は全く見え方が変わるので我慢しなくて済むわけですね。例えば雨が降って来たっていう時に「困った雨だな」って言う風に思ってる限りは我慢するしかないんですけども「いいお湿りですね」って言う風に一言言われて、 「ああそうか、いいお湿りだったのか」という風に気持ちが変わると、我慢どころじゃなくて「もっと濡れようか」っていう感じになる訳でしょ。 言葉の力って大きくて、和語では「言祝ぐ(ことほぐ)」って言うんですけども「言葉で祝う」と書くんですね。ことほぎが訛ってことぶきっていうものになるんですけども、不都合やら非常に腹ただしいことやらそういうことをですね、もう転換してしまう。 例えば年末の大掃除の時にみんな家中で掃除してますよね。これで終わったなって言ってふっと見たら雑巾が置いてあったと。「誰だこれは!」っていう風になると収まらなくなるわけですけども、そこで歌を詠んだ人がいて、「雑巾を漢字で書けば蔵と金 あちら福福 こちら福福」と詠んだと言うんですけども、こんなめでたいことはないじゃないかという風に転換した訳ですけども、そこまで行くとちょっと何だかなという感じもしますけども、でも何て言うんですかね、「これは誰だ!」って言っても始まらないですよね。 やっぱりいい方向へ気持ちを転換していくっていうのは我慢せずに済む方法な訳ですね。だから我慢っていうものをいいものとして宣伝するんじゃなくて、我慢では出来る限りしなくていいように心をシフトしましょう、ということでお願いします。 #玄侑宗久 #色眼鏡 #我慢