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東京の新しい都心として注目される大崎駅周辺。 その一角に佇む、居木神社。 毎週水曜日。夜7時になると、決まって集まってくる人たちがいます。 人々が入っていく先は神社の集会場。 江戸時代から品川に伝わるお囃子の稽古が行われています。 ここに集まる人たちは、ほとんどが神社の隣にある芳水小学校の在校生や卒業生。 居木神社は、代々、芳水っ子の遊び場です。大人になってもここを訪れる人たちのため、先代の宮司がこの集会所を開放しました。 「お囃子を残していこうという気持ちで始めた。まさか、こんなに長く続くとは思わなかった」 「同じ学校の子がいて楽しい」 「小さいころからいるので家族みたい」 「集合をかけているわけではないけど、ここがあるから小さい子から、世代を超えて先輩たちとおなじ空間にいることができる」 「引っ越しても、この場はなくならないので、離れても、ここで育った仲間ということで入れる場をつくるのが役目」 「こんばんは~」 世代を超えた人とのつながりを生んでいる集会場。 この日は、居木神社の女将、森田由美子さんと、友人の三谷千枝子さんが顔を出していました。変わりゆく大崎の姿を見てきた二人です。 森田さんと三谷さんも子供のころ、芳水小に通っていました。二人は、芳水小学校が出来た経緯を話してくれました。 「昔は、山手通りは田んぼだった・・・・・」 大崎シンクパークに本社を置く明電舎。ここには、芳水小学校とのつながりを示す資料が、遺されています。 明治42年に山手線が開通すると、貨物駅としての機能をもつ大崎駅に依存する工場が立地するようになります。明電舎も、そのうちのひとつでした。 当時の大崎は一寒村。道路は悪く、子どもたちは雨風に苦しみながら遠い学校まで通学していました。そんな姿に心を痛め、強く学校設立を臨んだのが明電舎の創業者、重宗芳水でした。 しかし、芳水は想い半ばで亡くなってしまいます。その意思を引き継いだのが、妻のたけでした。 「芳水は子供のころ苦労して勉強していたので、そういったおもいを今の子にはさせずによい環境で勉強して、日本を背負ってもらいたいという想いがあったとおもう。たけは私財を投じて学校をつくり寄贈した。個人の名前が付いていることに名誉だと思う」 重宗夫妻の想いが込められている芳水小学校。校舎の建て替えが行われている今も、一角には、たけの碑が残されています。」 そして、明電舎では現在も、芳水小学校でのものづくり教室開催や行事への参加など、創業者の精神を受け継いでいます。 三谷さん「《芳水の華》というのは、運動会の時に踊ったの…」 森田さんと三谷さんは、芳水小で子どものころ、よく唄っていた『芳水の華』という歌について話してくれました。 『芳水の華』は、芳水小学校創立の翌年、大正8年に校歌として制定された歌でした。運動会では華々しく踊りと共に披露され、学校の象徴となります。子どもから大人まで幅広く愛され、長く伝承された歌でしたが、昭和30年頃突如廃止されます。 今、その記憶を知る人は、ほとんどいません。この地域に語り継がれてきた幻の校歌を新しい世代にも知ってほしいという想いで、二人は子どもたちの前で唄ってくれました。 「最後に今の校歌を歌おう…」 芳水小学校は平成30年で100周年を迎えます。校舎は生まれ変わっても、人々の想いは世代を超えて受け継がれていきます。