У нас вы можете посмотреть бесплатно 245)会津若松城【50歳独身の黙々とひとり旅福島編】鶴ヶ城 東北三名城 日本100名城 戊辰戦争最大の激戦地(福島県会津若松市)Aizuwakamatsu Castle или скачать в максимальном доступном качестве, видео которое было загружено на ютуб. Для загрузки выберите вариант из формы ниже:
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2025年8月11日に訪問。 会津若松市に一泊して朝8時頃に東口に到着。 天守閣への入場は朝8時半からだが、次の予定も考えて天守閣に入る前に事前に見るべきところを見ておこうと計画。 同じ考えの人なんだろうか、雨にもかかわらず開館前に既に何組も来ていた。 会津若松城は、実は2回目の訪問である。 2回目といっても前回は28年前の大学生時代。 2月頃にゼミの合宿で山の中の温泉宿に宿泊。 その帰り道で、他の人はまっすぐ家に帰るとのことだったが、自分だけはせっかくここまで来たので、途中下車しながらいろいろ立ち寄って帰ろうとした。 喜多方でラーメンを食べた後、会津若松城も駅から歩いて立ち寄った。 当時はもう一泊する経済的な余裕すら無かったこともあり、その日のうちに帰宅しなければならず、電車の都合でまさに駆け足の訪問で、天守閣には入らず外観を少しだけ見て帰路に着いた記憶がある。 それでも本丸御殿跡からこの角度で天守閣を見たな〜というのは記憶に残っている。 今回は2時間程かけてじっくりと滞在。 こういった近世城郭では、本丸と本丸まわりの堀だけ残っているケースが多いが、ここは北出丸、西出丸、その周囲の堀や虎口跡も残っており、遺構を見るという点でも評価すべき城跡だ。 会津若松城は、戊辰戦争最大の激戦地だったところだ。 歴史好きの方にとっては新政府側が勝てば官軍とばかりに非道行為を行ったことは周知の事実と思う。 現代において勝利した側が、暴行・略奪行為をしたり、捕虜を人道的に扱わないことは戦争犯罪だということで、ロシアのウクライナ侵攻に関してウクライナに安易に降伏を勧めた人がいて、そういった人達がいわゆる一般的に高学歴といわれる人達だったことは、日本の歴史教育の大失敗だったことを改めて強調したい。 そういうことが必ず起きるから戦争犯罪にしているし、国際人道法は作られたが、そこでは取り締まる警察組織が有効に働かないし、勝利した側が敗者に対する人権意識が低いのは自明の理。 守られないのは確実だが、少しでも減らすために作らた法律であることすら分からない人が、訳知り顔で降伏を勧めたことは日本の歴史教育の大失敗であり、日本の安全保障上でも大問題だと思っている。 日本も百数十年前に当たり前に、内戦状態で自国民に対してそういう行為をしたことを忘れてはならない。 ただ、ここではそういったなかで、板垣退助の功績を強調したい。 板垣退助は新政府側の指揮官で、長期戦ではなく短期決戦を決断し功績を挙げた人だ。 会津藩主・松平容保はプロイセンに対し蝦夷地(北海道)の売却を交渉しており、本来ならば、勅許の無き日本領土の割譲は大罪であり、罪人として縄に縛られた状態で引きずり出されてもおかしくない状況だった。 板垣はそれを不問に付し、会津藩側の名誉を重んじ、会津藩主・松平容保が罪人のように扱われるのを避けるため「輿」に乗った状態で城から出て降伏することを許可するだけでなく、「降伏した以上は、我ら等しく日本の臣民である」「これからは海外諸国と対峙せねばならず、過酷な処分によって後世に遺恨を残し、日本民族統合の障壁になってはならない」として、会津藩の罪を減ずるよう穏便なる処遇を求める嘆願を上奏している。 また「有能な人材は、積極的に政府へ登用すべき」との意見を述べるなど公正な態度を最後まで崩すことはなかった。 新政府軍の非道行為があったことは事実だが、戊辰戦争終了後は板垣退助がいたことで日本国内で差別する側と差別される側ができることを防ぐブレーキ役を果たした。 板垣退助が短期決戦を決断していなければ、蝦夷地がプロイセンに売却された可能性があり、リアルに国境線が変わっていた可能性もあるし、日本が近代国家として日本国内が一致団結できたことも板垣退助の公正な言動の功績が大きいと思う。 個人的には明治維新の英傑で一番不当に低く評価されている人だと思っております。 ちなみに板垣退助は、一代限りの爵位である伯爵を受けることを持論とし、子孫には爵位を継がせず一代で爵位を返上することを望んでいたが、彼の死後に子の板垣鉾太郎によって行われた廃嫡と家督相続によって、それは実現しております。 さすがに、こちらの教育は失敗しなかったようですな。 【投稿のいきさつ】 群れないし、媚びないを信条に他人に左右されること無く、自分が、ただ思いつくまま訪問した城跡を中心とした歴史的遺構などの訪問記録を投稿しています。 50歳独身の自分がただ黙々と一人旅をした映像です(初投稿時は44歳)。 大学を5年間でなんとか卒業後、24歳より西日本で有名なブラック企業に入社。1年のうち平均358日が仕事で、早朝から深夜まで数字に追われる日々を20年近く続ける(休日はお盆2日、年末年始5日ぐらいのみ。勤務時間は普通の時で朝7時〜夜11時、ひどい時は書きたくないほどひどい)。 そんな会社もそこそこ営業結果を残せれた為、小さい営業所の所長をやったりと、ズルズルと在籍。 そんな会社も数年前から労基の指導や働き方改革で週に1日は休めるようになる(最近は大概は土日は休めるようになる)。 当初は20年近く、毎日一息もつけない働き詰めの生活の反動から休日は全く何もしたくない、と思い本当に何もしない生活を続ける。 ただ、この20年間、働き詰めで仕事だけのこのままの生活ではいけない、少しだが時間もお金もある、と思い、自分は何がしたいのかを考えたところ、自分は城跡を見るのが好きだったことを思い出し城跡を巡るようになる。 2020年3月にスマホにかえたのを機会に投稿を始める。 それ以前に訪問した犬山城、岐阜城、広島城などの記録を残さなかったことに後悔しつつ投稿を続けています。 #概要欄も読んでね #日本100名城