У нас вы можете посмотреть бесплатно 「仲間を自分たちで荼毘に…」生き残った使命を考える“死んだ仲間を報いるために”98歳元特攻隊員、戦友を悼み、若者に託す最後の授業【戦後80年北海道と戦争】 или скачать в максимальном доступном качестве, видео которое было загружено на ютуб. Для загрузки выберите вариант из формы ниже:
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80年前の12月8日、日本がハワイの真珠湾を攻撃し、太平洋戦争が始まりました。多くの若者たちが命を落とした戦争。札幌に暮らす元特攻隊員の証言です。 ■生き地獄だった…戦友を悼んで 元特攻隊員98歳の証言 元特攻隊員 横山末雄さん(98) 「きのうまで一緒だった仲間を自分たちを、自分たちが荼毘に付した…何とも言えない生き地獄だね。生臭いにおいと煙がもうもうと高く上がっていく…あの光景はかわいそうだった。本当にかわいそうだった」 戦友を悼む1人の男性。横山末雄さん98歳。かつて特攻隊員でした。 戦後、身一つでパン粉を製造・販売する会社を立ち上げ全国有数の企業へと育てました。 第一線から退いた後も、政治や社会について関心を持ち続けています。 ■予科練は少年たちの憧れの的だった 元特攻隊員 横山末雄さん(98) 「防衛費を増やすってことは戦争をやりかねないからさ…威勢よく戦争やってもだめ」 現在の札幌市白石区で、農家の9人兄弟の末っ子として生まれました。 横山末雄さん(98) 「担任の先生からね、『横山お前、海軍甲種飛行予科練習生というのがあるが、受験しなか』と勧められた」 1943年の航空機の搭乗員訓練生通称=予科練の募集案内です。 予科練は少年たちの憧れの的であり、横山少年も例外ではありませんでした。 1943年12月、太平洋戦争中期。学徒出陣により、多くの学生が徴兵される中、横山さんは16歳で「土浦海軍航空隊」に入隊。 ”国のために”との思いを胸に茨城へと降り立った横山さんを待っていたのは… 横山末雄さん(98) 「1番難しいモールス、こうやって打つの…角材に『精神注入棒』と書いて『お前2字間違ってたとなったら2発殴る』そんなのがあるからね。ノイローゼで自殺した者もいる」 「教官のしごき」に耐える日々…同級生らから貰った寄せ書きに支えられたといいます。 ■航空隊に爆撃…若い命が犠牲に 17歳の春。アメリカ軍が沖縄本島に上陸し、本土への攻撃が激しくなる中、分隊長から総員整列の号令がかかりました。 そこで告げられたのは…。 元特攻隊員 横山末雄さん(98) 「『諸君に。ぜひ特攻隊員としてねやってもらわなきゃならん』と。当然何のちゅうちょもしないで、一歩前へ全員が出た」 横山さんを含め、志願したおよそ200人が特攻隊員となりましたが、その矢先、航空隊の基地は、アメリカ軍の波状攻撃に晒され壊滅状態に…。 横山末雄さん(98) 「私はみんなを連れて防空壕に避難した。隊に残った者は爆弾でやられて、相当数、とにかく280人戦死した。はらわたも分からないくらい直撃した」 この被害によって、出撃する機会はありませんでした。 太平洋戦争では、特攻隊員6300人以上が帰らぬ命に。 横山末雄さん(98) 「戦争が終わってから『貴重品をみんな出せと、機密に関するもの全部出せ、特に日記帳も出せ』と全部燃やされた」 ■生き残った使命を考える…元特攻隊員98歳の証言 終戦後、パン粉の製造会社をつくり「うさぎ印」のパン粉として本州にも工場を構えるほどに大きく成長しました。 原動力は、戦後に再会した戦友の言葉でした。 横山末雄さん(98) 「俺たち帰って生き残った、死んでいった連中のことを考えると、社会奉仕をしなきゃだめだな」と、そういうひと言を言われてハッとね。電気に撃たれたみたいになった」 死んだ仲間を報いるために、社会にできることとは──。横山さんの生き方が大きく変わりました。 空襲警報がない、爆弾が降ってこない こんな日本が80年… 11月、母校の札幌南高校定時制の生徒らに、戦争の悲惨さを訴えました。 横山末雄さん(98) 「特攻隊に行って、俺は国のためにやるんだと、そういう一心で特攻隊員になった」 生徒 「戦争や特攻は、その時代を生きた人たちにしか伝わらないというのはあるが、自分たち若者が未来に伝えていくべきことだと知った」 体力的なことから、自身の過去を語ることはこれで最後だと決心した横山さん。後輩たちに優しく問いかけました。 元特攻隊員 横山末雄さん(98) 「きょうも空襲警報がない。爆弾が降ってこない。こんな日本が80年続いてることに私たちは気づいていますか」 堀啓知キャスター) 戦後、経営者となった横山さんは、戦時中、厳しい搭乗員の訓練を重ねたこともあり、会社の経営も、しっかり操縦する。そうした強い信念のもと、つねに経営状況を把握できるように、1年ごとではなく、毎月決算を行うルールを定めているそうです。 高校生たちが“戦争”を語り継ぐ当事者となる、その必要性を学んでいましたが、終戦から時が流れる中で、どう記憶をつないでいくのか。 過酷な時代を生き抜いた横山さんの証言には、平和を当たり前とせず、過去の歴史にも向き合い、自分ごととして考えてほしい…、そんな願いが込められていると感じました。