У нас вы можете посмотреть бесплатно 【八幡浜市】大峠隧道(八幡浜市道 宮内伊方線)・大峠トンネル(国道197号)/小型トンネルの工法が体感できます!あるいは、やーんぴのトンネル[倍速](2021.1.31) или скачать в максимальном доступном качестве, видео которое было загружено на ютуб. Для загрузки выберите вариант из формы ниже:
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大峠(おおと)隧道は、八幡浜市保内町宮内の西之河内(にしのかわち)集落と鼓尾(つづみお)集落を結ぶ、八幡浜市道 宮内伊方線(延長6.6km)の中ほどにある大峠につくられたトンネルで、二重トンネルという非常に変わった様相をなしている。また内側に向かってトンネルが小さくなっていることから、ドラえもんに出てくる「ガリバートンネル」と呼ばれることもある。 大峠は、現在、ほとんどの地図で確認することはできないが、昭和8年参謀本部地図では、今の大峠隧道のある場所に、標高248mの峠として記載されていることを確認することが可能である。八幡浜側は5 - 210m、伊方側は210 - 84mといった標高になっている。 八幡浜市保内町宮内は、明治22年12月、宮内、両家(りょうけ)、枇杷谷(びわだに)、鼓尾の4村が合併してできた旧宮内村だった。宮内という地名は、三島神社の神領(宮内)であることに由来している。また、宮内村の中心を流れる宮内川の上流には平家谷という地名があるように、平家の落人伝説のあるところでもあり、枇杷谷という地名は平家琵琶、鼓尾は鼓に由来するといわれている。昭和30年3月には磯津村、川之石町、喜須来村と合併し、保内町となり、さらに平成17年3月には八幡浜市と合併し、新八幡浜市となった。 昭和8年参謀本部地図では、大峠への峠道は現在の市道とルートが異なっている。八幡浜側から峠への道筋は、西之河内集落の中心部のものは現在と変わらないが、集落を離れてからの大峠までは、西河内川の支流の川に沿ったかたちで直線的に伸びている。幅2m以上の道として記されているが、急な坂をそのままのぼるものである。現在の市道は山にのぼる部分は果樹栽培のため、車両走行が出来るよう緩やかな勾配の等高線に沿った曲がりくねったものになっている。また広範囲の果樹園で道路が利用できるよう、意図的に遠回りするルートを採っているようにも思える。 参謀本部地図での伊方側の道は、峠から大畑川に沿ってくだるもので、こちらは幅員1m程となって小径様のものだったようだ。さらに鼓尾集落にはそのまま繋がらず、山のなかほどに広がる鼓尾集落の麓、現在の国道の通っているところに至ってから2m以上の道となっている。 八幡浜側、伊方側、いずれも川沿いに峠へと辿る部分は、道が険しすぎて使われなくなったのか、現在の地図ではまったく確認できない。 この宮内伊方線を除いても現在の市道は西之河内の宮内小学校の裏を始点とするものが非常に多い。小学校の横にかつて村役場があり、その村の中心を始点としているようだ。ちなみに宮内小学校は明治8年に開設されている。 宮内村には明治29年愛媛県下で初めてネーブルが導入され、昭和30年代以降、果樹園が多く作られた。トンネルの八幡浜側は日当たりのよい傾斜地で、ミカン畑がひろがり、作業用の小径が市道とは別に多く作られ、分岐点が多いので、注意しなければ市道から外れてしまうことになりかねない。農作業で頻繁に使われるため、道幅は広くないものの、路面の状態は非常に良い。一方、伊方側は果樹は少なく、使われる頻度が低いためか、集落に出るまで道は荒れ気味となっている。 --大峠隧道の入口に取り付けられた八幡浜市による説明板--------------- 大峠隧道(おおとずいどう) この路線の大峠は、標高250メートルあり、かつては幅員2メートル程度の山道が西之河内(八幡浜側)と鼓尾(伊方側)の集落の間を通っていた。また半島部を結ぶ唯一の交通路であり、藩政のころは、藩主が三机・三崎へ行く重要なコースであったという。 1951年(昭和26年)、旧宮内村において村道の新設について地元民から強い要望があり、村当局・議会・村民が一丸となって県に働きかけ、県単事業として道路工事に着手、同時にトンネル工事も行われ、1952年(昭和27年)に110メートルの導坑が完成した。 しかし、同年9月長い秋雨により導坑中央部3ヵ所が崩落してしまったが、昭和の大合併によって保内町(旧)となった1957年(昭和33年)に本格的にトンネル工事を再開し、同年度に導坑部分は復旧した。その後、新国道197号建設計画が浮上したことにより工事が中断し、本坑と導坑のダブルトンネルのまま現在に至っている。国道197号の開通によって、本路線は三崎方面への重要路線はなくなったものの、集落間を結ぶ生活道路や農林道として、今も大切な役割を果たしている。 (一部保内町誌より引用) 平成24年5月 (参考)導坑(先進導坑)とはトンネルを掘削するにあたって、本坑を掘削する際の地質把握や、水抜きとして利用するため、本坑に先立ち全断面のうちの一部に掘った小さな坑道をいう。 (諸元) 市道 宮内伊方線(みやうちいかたせん) 昭和27年(1952年)開通 延長 110.2m(本坑50.20m) 有効高 4.00m 全高 八幡浜側4.50m、伊方側4.60m 全幅 八幡浜側3.90m、伊方側4.60m 車道幅員 八幡浜側3.30m、伊方側4.00m (導坑L=60.00m) 有効高 2.00m 全高 2.35m 全幅 2.50m 車道幅員 1.90m 管理者 八幡浜市産業建設部建設課 ------------------------------------------ すぐ側に国道197号の大峠(おおとうげ)トンネルがあるが、説明板にあるとおり、この大峠隧道の新道としてつくられた訳ではない。 国道197号は昭和38年4月に二級国道197号大分大洲線(大分市-大洲市)として指定され、昭和40年4月に国道一級二級廃止により一般国道197号となった。昭和45年4月、起終点を交換し、起点側を高知市まで延伸し、一般国道197号(高知市 -大分市)と指定されている。 国道197号の三崎地区(佐田岬地区)(八幡浜市矢野町-伊方町三崎町)の54.2km区間の一次改築が昭和45年に着工する。事前の路線変更に対する調査は昭和41-48年にかけて行われ、調査が終わったところから着工された。それまでは海岸線の路線で幅員が3.6m程しかなかったが、佐田岬半島の標高200~250mの山頂付近を縦走するスカイラインルートとし、トンネル20・橋梁33により幅員9.9mの2車線、延長38.9kmの新道を建設し、昭和62年12月に全線完成供用した。旧道と比べて延長が16km短くなり、所要時間も60分短縮されている。自然の音が聞こえるところ、ということで、メロティーラインという愛称がつけられたが、平成23年2月には一部区間で、アスファルト工法により、タイヤの振動で実際に音楽が奏でられるメロディ道路も作られている。 大峠トンネルもその改築の一環として作られたトンネルのひとつで、昭和47年3月着工、昭和49年1月竣工、昭和50年10月供用開始、また延長1,081m、幅員8.0mで、昭和50年10月に供用開始されている。 大峠トンネルは、当初、全延長1,064mのうち、第1工事464m、第2工事600mで第1工事の起点より317.6mを側壁導坑先進工法(トンネルの壁にあたる部分から掘り進め、側壁を築いてから全面を掘削する工法)とし、第1工事残延長と第2工事全延長を上部半断面工法(上部半断面から掘り、次に下部を掘削し、側壁を作る工法)で計画されていたが、第1工事起点側坑口付近は地すべり区域に指定されており、地質調査でも崖錘層が厚いことにより、トンネルを起点側に17m延長し、頻繁な岩質の変化と残延長とも考え併せて、第1工事全延長を側壁導坑先進工法により施工した。 ※大峠隧道内走行中は等速再生している。 00:00 概要地図 00:14 左は宮内小学校。市道は宮内小学校の南側の道の先にある橋から始まるが、確認出来ていない状態で、信号があり入りやすい北側から入ってしまった。 00:37 ここで左から合流してくるのが、正しい市道。 00:38 この集落は西之河内集落である。 00:45 昭和8年参謀本部地図ではここで右に入る道が峠への道となっている。直進する道が一本、集落間を走る。 01:12 同地図では、峠に向かわない集落のみの道は、このあたりで終わっている。 01:15 正面に見える赤い橋は、谷間を埋める国道179号の保内大橋。段々と傾斜地の果樹園のなかに入っていく。 01:58 分岐で迷う。迷路のように道が入り組んでいる。 02:05 見晴らしが良いものの、斜面が少し気になる。 02:45 国道197号といったん接続する。国道の大峠トンネルは目前。 02:56 保内の市街地が見える。この市街地が見えるのは峠と反対方向に進んでいるから。 03:09 2tトラックと遭遇。離合の困難な場所だが、地元の人には慣れたことのようで、すぐにバックして作業用駐車スペースに退避してくれた。 03:32 ガードレールがない。道路から外れるとどうなるのだろうかと、多少気になる。 03:52 再び、軽トラと遭遇。昼過ぎだったので、午前中の作業を一段落つかせ、食事に戻る時間帯なのか、と思う。 04:02 ちょっとした空きスペースまで戻ってくれて、無事に離合。これが地元の人でなかったら右往左往していたと思う。本当にありがたい。 04:07 キケンだが、見晴らし最高! 脇目でチラリチラリ見ながら、車を進める。 04:10 モノレールが多い。ここの南の国道378号の海沿いは、モノレールしかなかった。 05:56 大峠隧道に到着する。「この先トンネル狭小」という注意書きの入った高さ2.0m制限の標識。ここでは、1.8mの車幅制限表示も必要だと思う。トンネル近辺は等速再生。 06:23 伊方側の鼓尾方向に抜けると道が荒れ気味になる。道の使われる頻度が低いということなのだろう。 06:41 実に無骨な切り通し。 06:52 落石にも注意したい路面状態。 07:09 鼓尾集落に入る。集落に入るやいなや、道の状態が良くなる。参謀本部地図には集落はあるが、道が記載されていない。 08:46 この先で大畑川沿いの道となる。左から下ってくる小径があるが、これが参謀本部地図にもある、昔の峠道だったようだ。地図でこの鼓尾集落に記載される道は、直接、峠を下り、伊方方面に延びる一本道だけである。 08:54 市道最後の分岐。当然のように道を直進する。 08:56 右手は鼓尾集会所。 09:00 この先は未舗装で道路一面に草が軽く茂っている。以前は使われていたが、今は使われなくなり、草が茂っているというのが一目瞭然の状態。国道が出来たことによって、道が寸断されたのだと思われる。 09:06 このあたりは国道197号の大峠トンネルの出口の真上。 09:22 国道に出て、市道 宮内伊方線が終わる。 09:36 国道378号を南下している。右手にある宮内小学校手前の信号を右折して、大峠隧道への市道に入っている。 09:41 本来は小学校の南の道に入って、市道始点に行くべきだった。 09:42 要田大橋を渡り、国道197号に接続する。 09:53 国道197号に入る。 10:25 保内大橋を渡る。保内大橋は、幅9.5m、延長71.3mで、昭和48年10月に竣工し、大峠トンネルと同じ昭和50年10月に供用開始されている。 10:30 大峠トンネルのすぐ手前で市道 宮内伊方線に入ることも可能だが、残念ながら上り下りどちらの方向からも非常に進入しにくい角度となっている。 11:12 トンネルから出るとすぐに「瀬戸の花嫁」の一小節のメロディが奏でられる。ここのメロディアスファルトは平成30年2月に設置された新しいものである。 撮影機:DJI Pocket2 撮影サイズ:4K 30fps 撮影モード:D-Cinelike 露出:オート(ISO Max1600) ホワイトバランス:オート フィルター:ND8/PL 撮影クオリティ:Hight 色調整:あり