У нас вы можете посмотреть бесплатно 第1883回「バスのなかで」2026/3/4【毎日の管長日記と呼吸瞑想】| 臨済宗円覚寺派管長 横田南嶺老師 или скачать в максимальном доступном качестве, видео которое было загружено на ютуб. Для загрузки выберите вариант из формы ниже:
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【サムネイル写真を募集しております】※概要欄下部をご覧ください。 ■管長日記「バスのなかで」 https://www.engakuji.or.jp/blog/40030/ ■Voicy https://r.voicy.jp/xAK61y2zVba ■note https://note.com/engakuji/n/ned0547a6... 最後に一日のはじまりを整える、呼吸瞑想がございます。 ------------------------------------------------- 「バスのなかで」という題の詩があります。 坂村真民先生の詩であります。 こんな詩であります。 バスのなかで この地球は一万年後 どうなるかわからない いや明日 どうなるかわからない そのような思いで こみあうバスに乗っていると 一人の少女が きれいな花を 自分よりも大事そうに 高々とさしあげて 乗り込んできた その時 わたしは思った ああこれでよいのだ たとい明日 地球がどうなろうと このような愛こそ 人の世の美しさなのだ たとえ核戦争で この地球が破壊されようと そのぎりぎりの時まで こうした愛を 失わずにゆこうと 涙ぐましいまで 清められるものを感じた いい匂いを放つ まっ白い花であった (『坂村真民全詩集第二巻』大東出版社より) という詩であります。 この詩をどれくらい朗読したことか、何回この詩について話をしたのか、数え切れないほどであります。 読むたびに感動は色あせないのです。 混み合うバスのなかでというのですから、多くの方がバスに乗っていたのだと想像します。 少女が花を持って乗ってきたことに気もつかなかった方もいたと思います。 気がついても、それほど心に留めずにいた人もいたと思います。 真民先生は、その少女に大切な心を教えてもらった思いがしたのでした。 先日坂村真民記念館を訪ねた時には、私がこの詩を揮毫した額が展示されていて、恐縮しました。 そして有り難いと思いました。 しばし眺めていると、西澤館長が、この詩から始まったのですねと声をかけてくれました。 その通り、その日、記念館に立っているのは、この詩から始まったご縁によるのです。 幾たびも記念館を訪ねたのもこの詩から始まったのでした。 もともと私は坂村真民先生の詩を高校生の頃から読んでいました。 真民先生に手紙を書いて、返信もいただき、「念ずれば花ひらく」の色紙も頂戴し、『一遍上人語録 捨て果てて』をいただいたのでした。 それ以来、大学を卒業して修行に出るまで、毎月真民先生の個人詩誌『詩国』を送っていただいていたのでした。 十数年にわたる修行のあと、私は円覚寺の山内にある黄梅院の住職と円覚寺僧堂の師家になりました。 それからは、真民先生へのご恩返しのつもりで、毎月掲示板に真民先生の詩を書き続けてきたのでした。 掲示板に毎月詩を書くとなると、すぐに手に入るような詩集ではすぐに足らなくなります。 『坂村真民全詩集』を毎月開いてそこから詩を選ぶようにしていたのでした。 二〇一〇年に私は円覚寺派の管長に就任しました。 その明くる年に東日本大震災がありました。 もう十五年も経ちます。 あの震災のあと、しばらく私は、法話などで坂村真民先生の「バスのなかで」という詩をよく引用していました。 大震災があって、あの大津波で多くの人のいのちが奪われました。 さらに原子力発電所の事故があって、これから一体どうなるのか、不安の中で過ごしていました。 放射能の影響がどくらい出るのかも分からないように不安の中でありました、 そんな時に法話をするのに、私はこの「バスのなかで」を用いていました。 「明日どうなるかわかならない」中でも、この少女のように一輪の花を大切にする心を失ってはならないと思ったのでした。 少女は混み合うバスのなかで、自分の身体がどんなに押されても、この花だけは守りたいと思って、「高々とさしあげて」乗り込んだのでした。 真民先生は、そこで「たとい明日 地球がどうなろうと このような愛こそ 人の世の美しさなのだ」と詠われたのです。 残念なことに、真民先生ご自身がこの詩を書かれたのがないと言うので、私がご依頼を受けて拙い字で書かせてもらい寄贈させてもらったのです。 この詩について臨済会で発行している『法光』に書いたところ、それを西澤真美子さんが読まれたのでした。 西澤さんは、私が「バスのなかで」について書いていることに驚かれたそうなのです。 何となれば、その時のお手紙によると、真民詩を引用し紹介されることは多いけれども、この「バスのなかで」が引用されることは稀れなのだそうです。 そこで西澤さんは、「それは真民詩を熟知されているということ、そしてそれ以上に真民のもっとも詩人たる感性が光っている詩のひとつであることを解してくださっている」と感動されたそうです。 震災の明くる年、二〇一二年三月十一日、あの震災のあった日に坂村先生の終焉の地、愛媛県砥部町に坂村真民記念館がオープンされることとなり、そこに私の書を展示したいという依頼をいただいたのでした。 私もその年の三月に初めて記念館を訪ねました。 今回展示を拝見していると、真民先生の思索ノート『詩記』が展示されていました。 この『詩記』というのは、真民先生が大学ノートに縦書きで、びっしり書かれたノートであります。 それは昭和二十六年七月から平成十七年の二月まで、五十四年間毎日書かれているのです。 その数は、なんと七百九十六冊になるのです。 この膨大な思索ノートを西澤孝一館長は、記念館を創設するにあたって読み込まれたのでした。 今回私の目をひいたのは、一九六八年七月のあるページです。 そこにこの「バスのなかで」のもとになる詩が書かれていました。 こうしてノートに書いて、『詩国』に発表されたのだと察します。 文字を推敲したあとも残っています。 今全詩集で読むのとは少し言葉が異なるところもありますが、これがもとの詩なのだと思うと感動しました。 真民先生が五十九歳の時のノートです。 思索ノートにある「バスのなか」での原詩を拝見することができて、今回も新たな感動をいただくことができました。 やはり現地に足を運んでみないと分からないものであります。 横田南嶺 ------------------------------------------------- 【サムネイル写真の募集】毎日の管長日記と呼吸瞑想 ------------------------------------------------- この度「毎日の管長日記と呼吸瞑想ラジオ」につきまして、皆さまからのサムネイル写真を募集いたします。 いただいた写真を「毎日の管長日記と呼吸瞑想ラジオ」のサムネイルとして使用させていただきます。 ■撮影対象場所 臨済宗大本山 円覚寺山内 ■応募内容 ・山内のお勧めスポット ・季節や時間帯で変わる円覚寺の風景 など、皆さまのお気に入りの写真をお送りください。 また、お一人さま何枚でもお送りいただけます。 ■撮影について カメラは横向きで撮影お願いいたします。 ■応募方法 下記のメールアドレスに必須情報をご記入の上、写真データをお送りください。 ※ファイルサイズは25MB以下とします。 【応募必須情報】 ・お名前 ・フォトネーム (写真を使用させていただいた場合、YouTube概要欄に記載するお名前です。) ・撮影した場所 ・撮影日 (不明な場合は記載なしで構いません。) 【応募メールアドレス】 engakuji.yt@gmail.com ■応募条件 応募者がすべての著作権を有している写真に限ります。 応募者ご自身が円覚寺山内で撮影した写真であれば問題ございません。 ただし、被写体に人物が含まれている場合は、事前に承諾を得るなど、肖像権の侵害等が生じないようご確認ください。 ■著作権及び著作者人格権の取扱いについて お送りいただいた写真データについては、応募の送付をもって、著作権を円覚寺に譲渡いただきます。また、写真データの利用にあたっては、応募の送付をもって、応募者様が著作者人格権(YouTube、SNS、Webコンテンツ、印刷物等に円覚寺が写真を利用する際の氏名表示の可否及び写真の翻案、改変、加工、その他の形式で利用する場合の同一性保持の可否等)を行使されないことに承諾いただいたものとします。 ------------------------------------------------- #管長日記, #呼吸瞑想, #毎日更新