У нас вы можете посмотреть бесплатно 九州最大の南朝聖蹟「高良大社」 〜後醍醐帝皇子・懐良親王御聖蹟〜 или скачать в максимальном доступном качестве, видео которое было загружено на ютуб. Для загрузки выберите вариант из формы ниже:
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楠公研究会では、今まで関西中心に調査取材を行なってきたが、今般、初めて、豊後竹田と久留米という九州地方に於ける二大楠公崇敬地にて現地調査をさせて頂いた。 楠公父子の殉節後、九州地方では、懐良親王を先頭に官軍(南朝)勢力が大いに活躍。 特に、南北朝期に於ける九州地方最大の戦い・筑後川合戦は有名である。 九州最大の吉野朝聖蹟・高良大社へ。 御祭神は、高良玉垂命(こうらたまたれのみこと)、八幡大神、住吉大神。 それは遥か太古より高御産巣日神が在し坐した聖域である。 そして、現在の高良大社奥宮鎮座地に高良玉垂命が降臨し鎮まられた。 後に、神仏が習合され毘沙門天が奉斎された。 高良大社主祭神・高良玉垂命とは、潮干珠(しおひるたま)と潮満珠(しおみつたま)を以て、潮の満ち干きを司る海神であり、則ち、万物生命の去就たる偉大にして畏るべき摂理を司る神である。 景行天皇の御代、「筑紫の国御井の郡(こほり)高羅の行宮(かりみや)に御(いでまし)て」「高羅山に就(つ)きて梶山となして船を造り備えて」との記録がある通り、高良大社は、景行天皇の熊襲討伐の折の行宮となった。 当然ながら、景行天皇皇子・日本武尊も高良大社にいらっしゃった事となる。 吉野朝時代、吉野朝廷は高良大社の偉大なる御神威を篤く尊崇、官軍・菊池氏が奉じた西征将軍・後醍醐帝第七皇子・懐良親王の御在所となった。 令和2年8月8日から9日の久留米訪問日の天気予報は両日とも終日雨の予報であったが、この日も雨の予報を覆し、日神が御来臨された。 当日は、大和塾の皆様による格別のご厚意に預からせて頂き、拝殿にて正式参拝をさせて頂く栄を賜った。 そして、竹間宮司様より、高良大社御由緒と高良大社に於ける吉野朝皇子・懐良親王御聖蹟について御教授頂いた。 拝殿内の正式参拝の間中、雷鳴が轟いていたが、稲妻と雷鳴のみでやはり雨は降らない。 雨無き雷鳴は龍神となられた懐良親王の御霊の御神威であったのかもしれないと感じる。 参拝全てを終え、高良大社を出立しようとすると、突如として、土砂降りとなった。 天候は御神意を顕すという。 今回も、誠に有難き参拝をさせて頂いた。 南朝帝が尊崇した神は今も尚、久留米の人々を、そして神国日本とその生みの子らを見護り続けている。