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死者の書(五) 原作:折口信夫、言葉・曲:菅野由弘 歌(Br):福嶋 勲、箏:深海さとみ、十七絃:丸田美紀、薩摩琵琶:首藤久美子 日本歌曲協会主催( http://www.nikakyou.org ) <第17回邦楽器とともに・2022年 いま届けたい魂のうた>より(動画④) 2022.10.28(金)東京文化会館・小ホール 映像制作 公益財団法人日本伝統文化振興財団 【解説】 この曲は「怒りの譜」であり、魂の叫び、怨霊の雄叫びである。全編が「怒りの曲」。テキストとした折口信夫の「死者の書」は、謀反の罪で処刑され、非業の死を遂げた大津の皇子の話が下敷きになっている物語りである。闇の古墳から復活を遂げた亡霊が、恨み骨髄にて叫ぶ。「こう こう こう」や「をゝ」といった声が、叫びなのか、亡霊の沈潜した恨み節なのか、書かれた文字からは浮かび上がってこない。が、「くそ」という小説にあるまじき言葉も出てくるので、私は怨霊の叫びと捉えている。果たして、亡霊となって現れることが「復活」と言えるのだろうか。「おれは活きた」と叫んで現れる。そもそも「現れる」と言えるのかどうか。それでも何でも、怨霊となって雄叫びを上げなければいられない心情を吐露した表現を、お聴き頂ければ幸いである。 (曲 菅野由弘) 【歌詞/原作:折口 信夫、言葉:菅野 由弘】 こう こう こう をゝ こう こう こう をゝ こう こう こう をゝ おれは活(イ)きた おれの名は、誰も伝えるものがない。おれすら忘れて居た。こう。長く久しく、おれ自身にすら忘れられていたのだ。可(イ)愛(ト)しいおれの名は、さうだ。滋賀津彦(シガツヒコ)。 語り伝へる子があった筈だ。語り伝へさせる筈の語部(カタリベ)も、出来て居たゞろうに。 ― なぜか、おれの心は寂しい。空虚な感じが、しくしくと胸を刺すやうだ。 ― 子代(コシロ)も名代(ナシロ)もない、おれにせられてしまったのだ。さうだ。其に違いない。この物足らぬ、大きな穴のあいた気持ちは、其で、するのだ。おれは、此世に居なかったと同前の人間になって、現(ウツ)し身の人間どもには、忘れ了(ヲフ)されて居るのだ。憐みのないおつかさま。おまへさまは、おれの妻の、おれに殉死(トモジ) するのを、見殺しになされた。おれの妻の生んだ粟津子(アハツコ)は、罪びとの子として、何(ド)処(コ)かへ連れて行かれた。野山のけだものゝ餌食(エジキ)にくれたのだらう。可愛せうな妻よ。哀(アハレ)なむすこよ。 おれは、此世に、影も形も残さない草の葉になるのは、いやだ。 妻は見殺し、むすこはえじき。おれのからだは巌になった。 おれの耳は聞える。其なのに、目が見えぬ。 くそ―― 外(ソト)の世界が知りたい。世の中のようすが見たい。 この耳すら、世間の語を聞き別けなくなって居る。 闇の中にばかり瞑(ツブ)って居たおれの目よ。も一度くわっと睜(ミヒラ)いて、現し世のありのまゝをうつしてくれ、…土(モ)龍(グラ)の目なと、おれに貸しをれ。 声は再(フタタビ)、寂(シズ)かになって行った。 月の、空を行く音すら聞こえさう。