У нас вы можете посмотреть бесплатно 戦禍を逃れ日本で“夢”を実現 一夜明け会見…大相撲・安青錦が両親に優勝報告【報道ステーション】(2025年11月24日) или скачать в максимальном доступном качестве, видео которое было загружено на ютуб. Для загрузки выберите вариант из формы ниже:
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大相撲11月場所で、初優勝を果たしたウクライナ出身の関脇・安青錦(21)が一夜明け、記者会見に臨みました。 初優勝の余韻からか、朝まで寝られなかったそうです。 関脇 安青錦 「帰ってきて、寝られないのはなかった。(Q.あまり寝られないまま?)そうです。気合で」 そして、土俵人生の大きな節目となった1日を、こう振り返りました。 関脇 安青錦 「普段、緊張してるんで、目の前の一番に集中していこうと考えて、やることができて良かった。今年、最後の一番だったし、悔いが、絶対、残らないように、自分らしく下から攻めることができて良かった」 年6場所制となった1958年以降、初土俵から14場所目での初優勝は、史上2番目の速さ。また、21歳8カ月の初優勝は、史上4番目の若さです。 真っ先に喜びを伝えたのは、遠く離れた両親でした。 関脇 安青錦 「『おかげさまで、優勝することができました』と。お母さんも泣いてました。(Q.お父さんは)泣いていたらしいんですけど、自分には見せなかった」 安青錦は、ウクライナの地で、レスリングに打ち込みながら、いつか大相撲の土俵に立つことを夢見ていました。 すべてを変えたのは、突然の戦争。戦禍のウクライナでは、18歳になると、原則、国外に出られません。避難先のドイツで、ひとり思い悩んでいました。 関脇 安青錦(6月) 「ドイツだった相撲もないし、仕事をやるしかないという感じ。今までやったきたことを、全部、捨てることになる。どうしても勝負をしてみたかった」 頼ったのは、日本の友人・山中新大さん。現在、関西大学で指導にあたっています。 大阪で開かれた世界大会。15歳で3位に輝いた安青錦に声をかけて以来、2人は、SNSを通じて親交を温めてきました。 そんな山中さんのもとに「日本へ避難できますか」と短いメールが届きます。 関西大学相撲部 山中新大コーチ(6月) 「最初、びっくりしたんですけど、彼も大変な状況の中なので、断わるという選択肢はなかった。『将来、大相撲の力士になりたい』と。『僕ができることだったら、何でもするよ』と」 2022年4月、安青錦は、日本へ渡るという大きな決断を下します。 関脇 安青錦(6月) 「うれしかった。自分だったら、断わるんじゃないかな。怖いじゃないですか。ほぼ会ったことないし、『行きます』しかなかった。自分の人生なので」 山中さんは、稽古の場を用意しようと、大学側にも掛け合いました。 安青錦の相撲に対する真っ直ぐな思いに、監督も心を動かされたといいます。 関西大学相撲部 桝井繁春総監督(6月) 「何とか一緒に相撲したい。相撲を好きな子が続けられない。そんな不幸ないよね、戦争で」 日本に来て8カ月。 その思いは、安治川親方へと届きました。そして、初土俵から2年2カ月。師匠とともに掴んだ賜杯です。 関脇 安青錦 「1つ恩返しができて、うれしかった。『おめでとう』とハグしてもらいました。師匠といろいろ相談できることは、一番、大事。相撲に関しても、私生活に関しても」 大関昇進も確実になりました。 目安は“直近3場所を三役で33勝”ですが、今場所は、三役として2場所目。安定した成績が高く評価されました。 26日の臨時理事会で正式決定。その直後、大関伝達式が行われます。 関脇 安青錦 「場所前は、全然、意識していなかったので、これから何を言おうかなと、ちょっと考えたりします。(Q.口上は自分で考える)きのう親方に『自分で考えろ』と言われたんですけど、まだピンチじゃないですけど、自分らしくいきたい」 [テレ朝NEWS] https://news.tv-asahi.co.jp