У нас вы можете посмотреть бесплатно 【被爆78年】被爆死した姉が着ていたブラウス 家族の無念を伝える ある胎内被爆者の思い или скачать в максимальном доступном качестве, видео которое было загружено на ютуб. Для загрузки выберите вариант из формы ниже:
Если кнопки скачивания не
загрузились
НАЖМИТЕ ЗДЕСЬ или обновите страницу
Если возникают проблемы со скачиванием видео, пожалуйста напишите в поддержку по адресу внизу
страницы.
Спасибо за использование сервиса ClipSaver.ru
今週は、1週間シリーズとして「被爆78年サミット経て…伝える”あの日”」をお届けします。初日の今回は原爆で父と姉を亡くした胎内被爆者の方の思いに迫ります。 「もう自分のような家族を作ってはいけない」家族の思いを背負って証言活動を行うその姿を見つめます。 平和公園にある原爆供養塔。この場所で手を合わせるのは、広島市東区に住む胎内被爆者の二川一彦(ふたがわ かずひこ)さん、77歳です。 あの日、原爆で父と姉を亡くしました。 【二川一彦さん】 「いつも平和公園にくると家族の代表の気持ちで手を合わせている」 二川さんは広告業を営むかたわら、8年ほど前から月に1・2回語り部の活動に取り組んでいます。 決して風化させてはならない、家族の歴史がそこにはあります。 【二川一彦さん】 「うちの母親含め、親戚・兄妹が父親と姉が(原爆で)死んだことを全然話してくれなかったことが逆にモチベーションになっている」 真っ直ぐ前を見つめる男性、父の一衛さんです。 78年前のあの日、今の平和公園にあった旧材木町の郵便局長として働いていました。 【二川一彦さん】 「まさにここ、材木町の郵便局があった。即死でしょう。(上空)600メートル真下ですから」 一番上の姉・幸子さん。当時、今の中区国泰寺町で建物疎開、つまり空襲による火災の延焼を防ぐため建物を取り壊す作業をしていました。 しかし、あの日を境に家に帰ってくることはありませんでした。 当時、二川さんを身ごもっていた母・広子さん。爆心地から3.8キロ離れた現在の東区矢賀で被爆し、翌日から夫の一衛さんと娘の幸子さんを探し続けました。 【二川一彦さん】 「結局8月いっぱいまで似島など色々なところを歩いて探し回ったが、ついに(行方は)分からずと」 翌年、誕生した二川さん。母・広子さんの胎内で被爆した、”胎内被爆者”として生まれました。 【二川一彦さん】 「”気がついたら被爆者なの?”って感じですよね」 原爆の惨禍の記憶はありませんが、”胎内被爆者”というだけで、心無い差別の目を向けられることもありました。 【二川一彦さん】 「(1980年の平和記念式典で遺族代表として)鐘を突く担当者になったという会見があった時、ある新聞記者が”二川さんは(結婚してなくて)一人のようですが、やっぱり原爆の影響ですか?”と聞いてきて”いやいやそんなことはないですよ。たまたま一人なだけです”と(言った)」 この出来事があってからむしろ、二川さんは家族が受けた被爆の事実を語っていかなければいけないと考えるようになりました。 しかし、父や姉の話は近所の人から聞いたものばかり。家族が被爆の事実について口を開くことは一度もなく、いつしかその思いは胸の奥に秘めてしまいました。 ところが9年前のある日…転機が訪れます。 2000年に亡くなった母・広子さんが使っていたタンスの中から、姉・幸子さんが着ていたブラウスが見つかったのです。 【二川一彦さん】 「白い和紙でくるんであった。几帳面にたたんであった」 そのブラウスは今、原爆資料館で大切に保管されています。 今回、取材班は特別に幸子さんのブラウスを見せてもらいました。 【二川一彦さん】 「元気でいるかなって感じ」 (二川さんがブラウスと対面し涙を流す) 「ありがとうございます」 「言葉が出ない。でもずっと一緒にいる感じがしました」 原爆で最愛の夫と娘を亡くし、絶望の中、5人の子どもを懸命に育て上げた母。 その母が大切に残していたブラウスを見て、二川さんは家族の歴史を伝えようと決心しました。 【二川一彦さん】 「(家族の)話をすることによって、原子爆弾と戦争の惨さ・理不尽さ・悲惨さを感じてもらって、”それをどうしたらいいのか”考えてもらうきっかけになればと思う」 今月中旬。いつものように原爆供養塔の前で手を合わせる二川さん。 この日、近くのカフェで自身の経験を高校生に向けて話すことになりました。 【二川一彦さん】 「いちおう心の準備はしている。自分の経験と自分の思っていることを話させてもらおうかなと思う」 カフェに集まったのは授業の一環として大阪からやってきた、高校3年生。 二川さんは手作りの資料を使って、家族の姿を伝えます。 【証言活動の様子】 「(母が)非常に穏やかで明るい顔をしている。2人とも死んで地獄のような日々なのに」 家族の歴史をありのままに伝えた二川さん、すると高校生から鋭い質問が… 【高校生】 「復興の一部始終を見てきたと思うが、世の中に絶望する出来事はありましたか?」 悩みぬいた末、胸に抱いていた思いを明かします。 【二川一彦さん】 「今の方が心配です。絶望に近いです。G7で”広島ビジョン”の発表があったけど原爆の廃絶のことは一言もないわけですよね。リーダーがそれでは僕たちは悲しい以上に怒りなんですよね」 真剣なまなざしで二川さんの話に耳を傾けていた高校生たち。 【高校生】 「自分の状況と向き合って考えてきたことが分かって、これから自分がどう考えていくべきかに繋がりそうです」 「今の日本の現状に絶望ともいえる感情を抱いていると言っていたので、絶望をさせたままではいられない。これから日本を良くしていって新たな希望になれるように頑張りたい」 【二川一彦さん】 「嬉しい!」 【二川一彦さん】 「率直にすごくやりがいを感じた。若い人の意見を聞くことで僕も気づく。そしてその裏付けを考えてみようと(思える)。自分のスキルアップになる」 もう自分の家族のように核兵器で苦しむ人を作ってはならない。二川さんの願いです。 【二川一彦さん】 「(戦争や核兵器など)いけないものはいけないとずっと言い続けたい」 まもなく被爆78年…家族が口に出せなかった無念の思いを背負い、二川さんはこれからも伝え続けます。