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みなさんんこんにちは。 今日は「劣等感を心の友に」という題でお話ししたいと思います。 仏教用語で「慚愧(ざんぎ)」という言葉があります。 慙愧の念に堪えない、なんていう使い方もされますけれども、これ仏教用語でして、どんな意味かと言うと、 「素晴らしい人を敬い、いたらぬ自分を反省する」と言う意味になります。 新年度を迎えて、会社勤めの方はいろんな異動がありせわしなく過ごされてることでしょうし、 学生の皆さんはいろんな学生生活の中が始まっていろんなことで気に病むことも多いかと思うんです。 その原因の多くが人と比べることなんですね。 周りと自分とを比べることによってほとんどの悩みが生まれているんです。 そこで仏教で大事なこと、比べることはしょうがないんです。人間ですからやっぱり自分と人と比べてしまう。 ただ比べた時にどういう風に対処するか、これが大事なんですが、これを解いてるのが慚愧なんです。 何かと言うと、劣等感をプラスに捉えた言葉だと私持ってるんですね。 で、劣等感というのは自分が至らない、人に比べてだめだ、だから自分には価値がないって思ってしまうことですが、 仏教はこれが明日への活力となると説いて下さってるんです。 どういうことかというと、仏教の修行で一番良くないものは何か。 それは傲慢な心なんですね。 自分はもうできてる、自分は完璧だ。 その心が修行の一番の邪魔な心だとお釈迦様説かれています。 つまり慢心してしまうとその人の成長はそこで止まってしまうんですね。 自分がまだまだ至らないんだって気づけたことは喜ぶべきことなんです。 自分はまだ成長できるんだ、気付けた人だけが一歩前に進めますし、成長できるんです。 つまりどういうことかというと、至らない自分というのは全くそれ自体は問題ないんです。 それよりも至らない自分を卑下せずにもう一歩進んでみようという気持ちを起こす。 つまり至らない自分を認めて、そこからもう一歩踏み出すということが大切なんだと思うんです。 皆さんも人と比べて何かと苦しむことが多いかと思います。 けれども、この慚愧という言葉を一つ覚えていただき、至らないことは問題ないんだ、成長できる可能性があるんだという 心持ちでぜひで過ごしていただけたらありがたいなと思っております。 「未熟な自分を認めて そこから一歩踏み出す」 本日もありがとうございました。 キャッチ+のコーナー【きょうのオハナシ】 “劣等感を心の友に” 須磨寺 副住職 小池陽人(こいけ・ようにん)さん ◎こちらもチェック “目的本位で生きる” • 【きょうのオハナシ】“目的本位で生きる” 須磨寺 副住職 小池陽人さん ”期待しない生き方” • 【きょうのオハナシ】”期待しない生き方” 須磨寺 副住職 小池陽人さん ”習慣が変われば人生が変わる” • 【きょうのオハナシ】”習慣が変われば人生が変わる” 須磨寺 副住職 小池陽人さん 【制作著作】サンテレビ ©SUN-TV,co.ltd ■チャンネル登録よろしくお願いします! / @suntvcojp_ohsun