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磯節(下) 磯ぶし家元 大洗 安中 町子,雛助 NIPPONOPHONE, 3377 独特の節回しで磯節名人と言われた,関根安中の大正11年の吹き込み。お座敷唄として洗練された磯節とは異なり,野趣に満ちた安中の磯節は,今でも不思議な魅力を持っています。 (上)には磯節の歌詞3つが唄われていますが,(下)は大洗甚句入りの磯節(磯節くずし)となっています。磯節くずしはもっと新しいものだと思っていましたが,大正時代には唄われていたのですね。 関根安中は,明治10年に現在の大洗町磯浜町に漁師の長男として生まれました。幼い頃から眼病を患い,17,18歳の頃には視力が極度に衰えたため,漁の仕事から按摩(マッサージ師)に転向し,大洗の旅館で揉み治療をしていました。安中は,漁に出た時に舟上で父から素人芸の磯節を教わりましたが,それ以外は全くの自己流でした。明治34年,水戸市出身の横綱(当時は大関)常陸山が旅館を訪れ,安中に揉み治療を頼んだ時,安中が披露した磯節に惚れ込んだそうです。常陸山は,その後安中を巡業に連れて行くようになり,按摩をさせる傍ら各地で磯節を披露させたと言います。また常陸山は,安中に磯節のレコードを吹き込ませ,多数買いとって巡業先の相撲後援者に配ったともいわれています。安中は節回しが野趣に富み独特で,磯節名人と呼ばれるようになりました。安中は,磯節を全国に広めることに最も貢献した人と言えます。昭和15年,63歳で没。(常陽藝文,1998年1月号から抜粋) (歌詞カードより) 春の出初めに白帆が三艘,初め大黒中恵比寿,後し白帆が,イソ,萬よし。 私に逢ひたけりゃ,音に聞えし大洗下で,「大きな石を掻き分けて,小さな石を掻き分けて,細かい小じゃりを紙に包んで,三尺小窓の小屏風の影からぱらりぱらりと投げしやんせ,その時私も推量して」雨が降ってきたと,イソ,逢ひに出る。 私の磯ぶし東の果てよ,銚子はずれて水戸もない,人にね,知られて,イソ,大洗。