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宮城県の北東部に位置し、面積554.58㎢、人口は仙台市に次ぐ県下第2の147,926人(2016.9.30)。江戸時代、奥州最大の米の集積港である交易都市として栄え、明治時代以降は漁業、昭和に入ってからの新産業都市の指定を受けてからは工業都市としても発展した。昭和8年(1933年)に市制を施行し、昭和40年代には基幹産業の発展とともに中心市街地は絶頂期を迎えた。近年では、1989年の石巻専修大学の開学のほか、三陸縦貫自動車道が石巻まで延伸され、2005年には近隣自治体との合併で現在の市域となった。2011年3月11日の東日本大震災では、マグニチュード9.0の激しい揺れと襲来した巨大津波により大きな被害を受けたが、現在も復興に向けてのまちづくりが進められている。 静岡県からのアクセスは、東海道新幹線で東京まで行き、東北新幹線に乗り換え仙台へ、さらに仙台から仙石東北ライン快速に乗り換え、仙台から石巻まで約1時間。 中心市街地は、JR石巻駅周辺から旧北上川付近までのエリア。 我々が住んでいる静岡県は、数十年前から東海地震がくると囁かれ、沿岸部の地価は津波襲来の懸念から下落に歯止めがかからない状況で、市役所や病院など公共施設の移転計画は、港町ですら海の近くが遠慮されている。しかし、海とともに発展してきた石巻は違った。歴史的にも定期的に津波の恐れがあるこの地から逃げることはなく、震災を乗り越え、真の復興に向けて動き出している。人的被害はなかった静岡県だが復興の道はまだ遠いと、石巻から学ぶことは大きいと思った。 【JR石巻駅】 石巻線と仙石線のほか仙石東北ラインが乗り入れ、1日当たりの乗車人員は3,005人(2015年度)。駅は地上駅で、ホームは北側と西側、駅舎は南側。改札口を出ると、切符売り場とびゅうプラザのほかコンビニエンスストアがある。駅前広場の東側にはバスターミナル、西側はタクシーと一般乗降用のロータリーがある。 【駅前大通り】 南北約130mの通り沿いには、居酒屋など飲食店が集まっていた。 【石巻市観光物産情報センター】 石巻の観光情報のほか、土産物も販売している。 【石巻市役所・エスタ(旧さくら野百貨店石巻店)】 旧さくら野百貨店石巻店は、店舗面積14,500㎡の百貨店だったが2008年4月に閉店し、同店の跡に商業施設と石巻市役所が入る複合ビルとなった。地上1階の商業施設には、店舗面積3,300㎡の核テナントの食品スーパーのエスタのほか専門店などが入り2008年にオープン、2階から6階までに入る石巻市役所は2010年に移転開所した。 【ささえあいセンター】 地上3階建て、延床面積5,160㎡の建物に、包括ケアセンターや多目的ホールなどが入り、津波復興拠点整備事業として2019年度までの完成を目指している。 【立町通り】 【三越石巻】 【石巻立町復興ふれあい商店街】2016年10月31日閉場 東日本大震災で被災した店舗が集まり、喫茶店やスポーツ用品店、衣料品店など約20店が揃う仮設店舗の商店街。当初は2年間の仮設商店街として2011年12月にオープンしたが、移転先が決まらない店もあったことから期限が延長されてきた。 【立町南側(歓楽街)】 【ことぶき町商店街】 【アイトピア商店街】 【橋通り商店街】 【石巻市復興まちづくり情報交流館】 東日本大震災による大きな被害を受けた石巻市においての震災の写真や被害状況などのパネル展示のほか、スタッフの方から当時の生の説明を受けることができる施設で、2015年3月にオープンした。 【旧かんけい丸商店】 当初は市内初の百貨店として1930年に建てられた洋風建築物で、2015年11月、市の有形文化財に指定された。 【石ノ森萬画館】 仮面ライダーや人造人間キカイダーを世に送り出したことで知られている石ノ森章太郎(宮城県登米市出身)の作品が展示されている記念館で、2001年にオープンした。この施設は、1995年、当時の市長と石ノ森章太郎との対談で、石巻の中心市街地の賑わいをもたらすためにマンガミュージアム建設の話が持ち上がり、それがきっかけで実現に至ったという経緯がある。 【日和山公園】 松尾芭蕉が訪れたことがあると知られている標高60.4mの小高い丘で、東日本大震災による津波襲来の時には多くの人が避難した命の山でもある。街全体が津波に飲み込まれてしまった石巻市門脇町と南浜町は日和山の海側に位置し、約1,700世帯が住んでいた。