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矢島(やしま)神社 矢島招魂社 八森(矢島)城跡 秋田県由利本荘市矢島町城内 no.0189 八森城跡については 八森(はつもり)という読み方も 散見される その八森(矢島)城跡に建つ 矢島神社は明治16年(1883年) 旧矢島藩士と領民が 生駒氏初代当主・生駒親正(ちかまさ)を 顕彰するために建立されたという 明治31年(1898年)には 最後となる12代藩主 生駒親敬(ちかゆき)を ともにお祀りしたという 生駒氏は大和国生駒を本貫地とする 藤原北家良房流の一族とされ 初代藩主・生駒親正は 美濃国可児郡土田(どた)出身であるため 土田(どた)生駒氏とも呼ばれた 生駒親正は織田信長に仕えた後に 豊臣秀吉の三中老として活躍し 関ヶ原合戦では子の生駒一正(かずまさ)と 東西に分かれて戦い 子の一正が讃岐高松藩17万石を 安堵された しかし4代当主・生駒高俊が 御家騒動により改易 当地・矢島に堪忍料1万石を与えられ 次男に2,000石を分与したため 8,000石の旗本交代寄合として 江戸定府となった 幕末の藩主・生駒親敬(ちかゆき)は 隣の久保田(秋田)藩とともに 官軍として戊辰戦争を戦い 領地加増により1万5,000石余の 大名に復帰している そのため矢島招魂社は 明治2年(1869年)に 戊辰戦争の戦没者7柱を お祀りするため建立され 先の大戦までの戦没者 365柱をお祀りしているという なお当地の八森城は かつて当地に割拠した 鳥海山北麓の国人連合 由利十二頭(とう)の 大井氏が居城したとされる 大井氏は信濃守護にして 甲斐源氏の小笠原氏分家とも 鎌倉幕府・初代政所別当の 大江広元が祖先とも言われる その後、慶長年間(1596〜1615年)には 天童氏を盟主とする最上八楯(やつだて)の 楯岡満広が城主となり 最上氏改易後の元和9年(1623年)には 由利十二頭の打越(うていち)光隆が 八森城に入城した 楯岡氏の当時の当主は 満広ではなく満茂の名が見え 後に由利本荘市の中心部 本荘城に移って本城氏を名乗り 最上氏の配下として4万5,000石の 最高家禄を賜っている しかし元和8年(1622年) 最上氏の改易に伴い 酒井雅楽頭(うたのかみ)家7代当主で 大老を務めた酒井忠世預りとなり 代々、重臣として仕えたという 打越(うていち)氏は嫡子が絶えて 寛永12年(1635年)に改易となり 5年後には生駒氏が八森城に 入城することになる なお江戸時代の当地は 由利郡城内村だったと見られ 矢島藩領646石だったという