У нас вы можете посмотреть бесплатно 「昭和の歌姫100人を歌う」No.091 西田佐知子 / 涙のかわくまで / コーヒー・ルンバ / アカシアの雨がやむとき / 女の意地 / cover:伸[nobu] With 仲間達 или скачать в максимальном доступном качестве, видео которое было загружено на ютуб. Для загрузки выберите вариант из формы ниже:
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皆様、こんばんは。「昭和の歌姫100人を歌う」No.091です。今回は、「西田佐知子」さんです。西田佐知子さんは、1939年(昭和14年)生れの現在84歳です。愛称は「さっちん」で、夫は俳優・テレビ司会者・タレントの関口宏さん、息子は俳優・タレントの関口知宏さんです。この時代の女性歌手としては、顎のラインのシュッとした美人で、その美貌に心を奪われた男性も少なくなかったそうです。ちなみに、彼女は、僕の生まれる前にデビューされていて、歌っている姿、動いている姿を見たことはありません。僕の同世代の方ではリアルタイムで彼女を目にしたことのある人は少ないかと思います。 西田佐智子の名で歌手デビューしました。それ以前には、「浪花けい子」の名で活動したこともありました。 代表作「アカシアの雨がやむとき」は、60年安保当時の世相を表現するテーマ曲のように扱われていて、 そのハスキーで退廃的な魅力に満ちた歌声は現在でもニュース映像のBGMなどで使用されることがあります。 1956年(昭和31年)に「伊那の恋唄」でマーキュリーからデビューしました。 西田さんは、膨大な数のレコードをリリースしていて、シングルレコードだけでも107枚もリリースしています。 中でも「アカシアの雨がやむとき」は1960年当時、彼女の代表的なヒット曲としてミリオンセラー(100万枚以上)を記録しました。 今回はそのマーキュリー時代の貴重なレコード画像も掲載しています。 歌と共にお楽しみください。 1962年(昭和37年)「アカシアの雨がやむとき」で村田英雄さんの「王将」とともに第4回日本レコード大賞特別賞を受賞します。 1967年(昭和42年)には、レコード売上1000万枚を突破の記念曲「たそがれの恋」発売。 9月30日にはレコード売上1000万枚突破記念チャリティ・リサイタルを東京厚生年金会館で開催しました。 この時代の売上枚数としては破格の枚数を売り上げました。 1971年(昭和46年) 関口宏さんとの結婚を発表。これを機に芸能活動を大幅に縮小します。 1982年(昭和57年)「テレビを見ている女」を発売し、現在のところ最終シングルです。 1982年以降表立った活動はありませんが、1990年(平成2年)、 歌手・平井菜水のデビュー曲「めざめ」(夫の関口宏が司会を務める日本テレビ系テレビ番組『知ってるつもり?!』のエンディング曲)の作詞を行っています。 基本的に現在は専業主婦です。 ちなみに、「コーヒールンバ」のヒット当時、本人はコーヒーを飲む習慣がなく 「(歌詞中の)モカ・マタリって何?」といった調子だったのが、結婚後は夫の影響で飲むようになったそうです。 ディスコグラフティーと共にお聴き頂ければ幸いです。 ………………………………………………………………………… 現在、僕や歌のパートナーの新二郎さんの大切な歌仲間であり大先輩でもある女性が癌と闘っています。 僕達は医師ではないので、彼女に対して出来る事に限りがあります。 そこで新二郎さんと相談して、お百度参りの代わりに、 「昭和の歌姫100人を歌う」と題して僕はPOPSと歌謡曲、新二郎さんは演歌を中心に、 昭和デビューの女性ボーカリストの歌を100人カヴァーし、彼女の完治を願いたいと思います。 癌の治療はとても辛いですが、現在の医療はかなり進歩しています。 どうか一日も早く完治しますように。 昭和の歌姫たちの懐かしいディスコグラフティーと共に、お聴き頂ければ幸いです。 …………………………………………………… 初めて聴いてくださった方へ。 改めまして、はじめまして。伸(nobu)と言います。 私のページに来て下さり、有難う御座います。 僕はもう10年以上前になりますが「喉頭癌(声帯にできる癌)」を患い、声を失いかけました。 その1年前に初めての癌を患い、再発からの転移でした。 定期健診を欠かさなかったお陰で、初期の段階で見つかり、 すぐに処置をして頂き助けて頂きました。 しかし、暫くの間、歌うどころか喋る事すらままならない状況になりました。 当時の私は、喋る事も仕事の一つだったため、 それはとても辛く悲しかったです。 もしかしたら、もう「声」と言うものには頼れないのでは? そんな思いを持ちました。 声が出せなくたって目だって見える。耳だって聞こえる。 体だって自由に動く。 何だって出来るじゃないか!そんな風に自分に言い聞かせた時もありました。 医師の「ある程度までは声は戻るよ」と言う言葉を信じ 喉を使っても良いと言われてからは、リハビリをして 毎日、家の近所の日の落ちた船着き場に車を止めて 大好きな中島みゆきさんの曲や、徳永英明さんの曲を聴きながら声を出す練習をしました。 思うように声が出なくて悔しくて泣いて車を叩いた日もありました。 誰にも聞かれたく見られたくなかった。 だから車の中は僕のリハビリ室でした。 その甲斐あって、医師も驚くほど回復し、 現在では喋るだけでなく歌う事も出来るまでになりました。 確かに、以前の自分の声ではなくなりましたし 今でも1曲全てを声もかすれずに歌う事は難しい時もあります。 でも、大好きな歌が歌えます。 友人の医師達や支えてくれた周りの人達に心から感謝をしています。 そして無理だと言う僕に、何度ももう一度歌おうと強く勧めてくれた大親友にも! そして2013年7月にまた、新たに疾患が見つかりました。 とても症例の少ない難病だと告げられ、同年10月には障害者となりました。その為、定期的に入院生活を強いられています。 明日はどうなるか解りません。 「負けたら終わり ではなく あきらめたら終わり」 「笑って生きるも一日、泣いて生きるも一日、どうせなら笑顔で」 この二つは私の座右の銘です。 世の中には、色んな病や悩みなどと闘っている人達が沢山いると思います。どうか諦めないで下さい。 私は大好きな歌を笑顔で歌ってここに載せて行きます。 ここには沢山の歌の上手な方々が掲載されています。 私の歌はその方々には程遠いものです。 でも、歌えるようになりました。 良かったら聴いてみて下さい。 そして何かの切っ掛けにして頂けたら嬉しいです。 ありがとうございました。 nobu