日芸オーディオブック「星降る夜の海で」 скачать в хорошем качестве

日芸オーディオブック「星降る夜の海で」

日本大学芸術学部の文芸学科と放送学科によるコラボ作品です。 MADE IN NCHIGEI のオーディオブックを是非お楽しみください。 読み手：赤松真治（演劇学科卒業生、大沢事務所所属） X : @2matheatre 作者：天ノ月アコ「星降る夜の海で。」（文芸学科２年） 制作：千田春翔、綿貫創（放送学科１年） 監修：茅原良平（放送学科教授）、高野和彰（文芸学科専任講師） 放送学科ホームページ：https://www.art.nihon-u.ac.jp/educati... 文芸学科ホームページ：https://www.art.nihon-u.ac.jp/educati... ＊所属、学年は2024年度時点での情報です。 以下、本作の原文を掲載しています。テキストでもご鑑賞ください。 「星降る夜の海で。」 月が明るすぎて星が目立たなくなるという話があるが、幸いにも月は遠くで満ちているから、真っ暗な夜空に散りばめられた星達を一粒残らず見つけることが出来た。 まるでどこかに帰ろうとしているかのように、流れ星が幾度となく降ってくる。 こんな、現実的に考えたら少し奇妙な光景は、少し前は見ることが出来なかった。 そんな夜空の下で月を写している藍色の海が、心地よい音色を奏でながら僕の足をくすぐる。 素足の指と指の間に、温かい砂の感触と涼しい夜風を感じる。 あまりにも幻想的過ぎて、夢か現か分からなくなるような、もういっそ夢が現のような、そんな世界が僕は好きなのかもしれない。 最近それに気づいたから、前よりも過ごしやすくなった気がする。 三百六十度、美しい世界を余すことなく一望しようと砂浜の方を振り返ったとき、そこに誰かがいるのを見つけた。 ずっと此処には僕しかいないと思っていたが、どうやら一人きりじゃなかったらしい。 どうして此処に来てしまったのだろう。 僕は目を凝らして人影を見る。 月が機転を利かせて叢雲を避け人影の方を向いてくれたから、その人の姿を捉えることが出来た。 彼は中年の男性らしかった。 気難しそうな顔をしている。 服装からして、仕事帰りだろうか。 社会を連想させるかっちりとしたスーツは、この緩やかな世界では浮いてしまっている。 「こんばんは。今夜は綺麗な夜ですね」 ふと、彼と話したい衝動に駆られて声をかけてみる。 すると彼は驚いた様子を見せながらも、ちゃんと答えてくれた。 「こんばんは。まるで、学生時代に戻ったみたいな気分です」 厳粛そうな見た目をしている割には、この世界の良さを分かってくれるらしかった。 彼からは、堅そうな雰囲気とは別に、懐かしいオーラを感じる。 父親に似ていて懐かしいのだろうか。 「此処はどこですか？どうやら、道に迷ってしまったみたいで」 その割には、彼は落ち着いた様子だった。 よく見ると、目の焦点が合っていなかった。 「それが、僕にもよく分からないんですよ。此処らを案内できたら良かったのですが、あいにく僕もどうやったら此処に辿り着くのか分からなくて」 曖昧な返事をしてしまった。 実際のところ、彼がどうやって此処に辿り着いたのか分からない。 はぐらかすようで申し訳ないが、話題を変えることにする。 「ところで、学生時代に、何か特別な思い出でもあるんですか？」 一度懐かしいと感じてしまえば、彼のことを知りたくなる。 彼が何を思って、どんな風にここまで生きてきたのか。 この世界で野暮だと思いつつも、興味が勝る。 「確かなことは思い出せないのです。ただ、海を見ると酷い後悔の念に襲われる。僕には当時一人の学友がいましてね。僕は何者にもなれなかった。無力なんですよ」 彼は淡々と言葉を紡ぐ。 思いつく言葉をそのまま口に出しているような喋り方だ。 彼は一歩海に近づいた。 「随分とお疲れのようですね。仕事帰りですか？」 「えぇ、まぁ」 僕はそれとなく会話を続けながら、重たい海水と共に彼の進行方向に移動する。 そこにいなければいけない気がしたのだ。 「不思議なことに、どうして生きているのか分からないんですよ。おかしな話ですよね。あれからもう二十年以上経つというのに、何故生きているのか分からないまま未だに生き続けている」 彼が海に向かって足を進めるに連れて、どんどん彼の言葉が不穏になっていく。 「貴方は真面目な方なんですね。大抵の人間は、そんな難しいことは考えませんよ」 僕の言葉が果たして彼の耳に届いているのか、確かなことは分からない。 しかし、彼の視線は寸分違わず僕を捉えている。 その間に、会話を続けなければ彼が危ない気がした。 彼は、今度は僕についての質問をしてくる。 視線が僅かに下の方へずれた。 「そんなに海水に浸かって、寒くないのですか？それとも、此処の海水は温かくて心地よいのですか？後者の方なら、私もそちらにいきたいものです」 彼の厳かな表情が少しだけ緩む。 少し上がった口角は、不気味ですらあった。 「良いんですか？僕のようになれば、貴方が大切に使ってきたスーツが傷んでしまいます」 僕は止める。 しかし彼は、歩みを止めない。 「良いのですよ。こんなもの、彼の苦しみに比べたら、懺悔にすらならないでしょうから。それでも私は、やらなくてはいけない。そろそろ、彼とも話がしたいですしね」 彼の革靴が海水に触れようとする。 潮の満ち引きが進んでいるからか、彼がさして歩みを進めなくとも海の方が彼に近づいた。 「その海水に触れると、もう戻れませんよ」 先程までとは違う、思いきり低い声で、大きな声で、彼に忠告する。 彼は反射的に身体を引く。 その行動が、彼にまだ生きる力が残っていることを証明していた。 「此処の海は一見穏やかに見えて、人間が入ってしまうと途端に波に揉まれて引き返せなくなる。重いスーツと革の靴を履いている貴方は、あっという間に海中へと押し込まれてしまうでしょうね。そうなってしまったらもう、一溜まりもないですよ。この水は貴方の視覚と方向感覚と呼吸活動と正常な意識を奪う。苦しくなってからも更に長い。取り返しのつかない状態になってから、生きたかったと後悔する可能性だってある」 一気にまくし立てると、彼は腰を抜かしてしまった。 呼吸が浅く荒くなり、必死に自分の脈を確認している。 僕の語彙力が、彼に臨死体験をさせてしまったのかもしれない。 そうだったら、申し訳ない。 「ごめんなさい、怖がらせたかったわけじゃないんです。あなたは多分僕とは違うタイプの人だから。こちらに来る途中で、向こうに価値を見つけて戻りたくなったら、大変だから」 お詫びの気持ちで、僕はまた話を変える。 「見てくださいよ、この美しい世界を。此処はこちらとそちらを繋ぐ境目。こちらの儚さも、そちらの活気も、両方合わさったものがここに儚く輝く星として反映されている。どちらの世界にも、それぞれの性質がありますからね。僕には向こうの方が向いているように」 彼は目が回りそうなくらい身体を回転させてこの不思議な世界を見回した。 そして彼は、自身のネクタイを握った。 「だとしたら、私は何というところに迷い込んでしまったのでしょう。私には、妻も息子も居るというのに。近頃は仕事での無力感も相まって、学生時代の旧友に会いたくなってしまったのかもしれない」 そのとき夜空では、一際輝く流れ星が地球の球体をなぞるように弧を描いて流れていった。 「貴方の学友は、ちゃんと星になったのかもしれませんね」 僕がそう言うと、彼は涙ぐみながら一度頷いた。 「海と反対方向に歩けば、いずれ帰れますよ。私が海の向こうから来たんですから」 僕が説明すると、彼はあっけらかんとした。 「知っていたのですか？それなら早く言ってくださいよ」 彼は怒っているわけではないようだった。 それに便乗して、僕は年相応の悪戯っ子のような笑みを浮かべる。 「すみません。僕も、貴方と話したかったものですから」 僕と彼、互いが反対方向へ歩き出す。 意を決して歩いているようでもあったし、もう二度と会わないであろう相手から表情を隠しているようでもあったと思う。 彼は振り返らずに随分と遠く離れた僕に言葉を届ける。 「なんだかあなたには何度もあった気がするのです、この場所で」 僕は一度足を止めたが、再び振り返らずに歩き出す。 「人違いですよ、僕は何にも思い出せませんから」 おわり