У нас вы можете посмотреть бесплатно 第1397回「白隠禅師と地獄」2024/11/3【毎日の管長日記と呼吸瞑想】| 臨済宗円覚寺派管長 横田南嶺老師 или скачать в максимальном доступном качестве, видео которое было загружено на ютуб. Для загрузки выберите вариант из формы ниже:
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【サムネイル写真を募集しております】※概要欄下部をご覧ください。 ■管長日記「白隠禅師と地獄」 https://www.engakuji.or.jp/blog/38283/ ■Voicy https://r.voicy.jp/Gw9reMj1mj3 ■note https://note.com/engakuji/n/ne00dfc78... 最後に一日のはじまりを整える、呼吸瞑想がございます。 ------------------------------------------------- 白隠禅師のことは、『広辞苑』に、 「江戸中期の臨済宗の僧。名は慧鶴(えかく)、号は鵠林。駿河の人。若くして各地で修行、京都妙心寺第一座となった後も諸国を遍歴教化、駿河の松蔭寺などを復興したほか多くの信者を集め、臨済宗中興の祖と称された。気魄ある禅画をよくした。諡号(しごう)は神機独妙禅師・正宗国師。著「荊叢毒蘂」「息耕録」「槐安国語」「遠羅天釜(おらでがま)」「夜船閑話」など。(1685~1768)」 と解説されています。 東海道の原宿のお生まれです。 五歳のときの逸話があります。 ひとりで海に出かけて、そこに浮かんでいる雲を眺めて世の無常を感じて大声で泣いてしまったというのです。 こういう無常観は高僧方に共通している点であると思います。 ただし、一般には病気のために死にかけたとか、親と早くに死に別れたというような体験が原点にある場合が多いのです。 ところが、白隠禅師はなんというわけでもなく、海辺で雲の浮かんで消えていく様子を見ていて無常を感じたというのです。 世間の無常のさまを観じて、しばしば泣くことがあったというのですから、実に感受性が強かったのでした。 お寺に行くことが好きだったようで、七歳の頃に、お寺で法華経提婆品の講義を聴いて、それを覚えて帰り、年寄りたちにその通りに話して聞かせたところ、一人の老婆が感激して涙を流したといいます。 そんな白隠禅師ですが、十一歳のときに、お寺で地獄の話を聞きました。 その様子を禅文化研究所発行の『白隠禅師年譜』から芳澤勝弘先生の現代語訳を参照しましょう。 「ある日、母に連れられて昌源寺に行った。 そこで伊豆窪金(雲金)の日厳上人が『摩訶止観』を講じられ、その中で地獄の説相を説くのを聴いた (原本によれば『摩訶止観』の中に地獄を説く一段があるように解されるが、そうではない。 『壁生草』では「日蓮上人御書」を講じたとある。 講義の合間に地獄の諸相を話したということであろう。) 上人の弁舌は実に巧みで、(熱鉄や釜の上で身を焼き苦しめられる) 焦熱地獄や(身が裂けて真っ赤になる)紅蓮地獄の苦しみを目の前に見えるかのように話した。 岩次郎はこれを聞いて身の毛がよだった。 (岩次郎は白隠禅師の幼い頃の名であります。筆者注) そして心に思った、「自分は常日頃、好んで(小動物を)殺害するなど、乱暴をほしいままにして来た。 だからきっと地獄に堕ちて永遠に苦しみを受けるだろう。 もはや逃れようはない」と。 全身が戦栗して、何をしていても心が穏やかではなかった。 またある日、母と一緒に風呂に入った。 母は熱い湯が好きだったので、下女に薪を加えて追い焚きをさせた。 風呂釜はしきりに鳴り出し、釜には炎が燃え盛っている。 熱気がシュンシュンと肌を衝いて、乱れ矢を受けるようである。 岩次郎はたちまち、あの地獄のことを思い出して、大声で泣き出した。 何事があったのかと皆が集まってきて、あれこれとなだめたけれども泣き止まない。 しばらく泣き続けて、泣きつかれたころを見計らって、母がなでながら言った、「おまえは何を怖がってこんなに泣くのかい。 男の子がわけも言わずに、こんなに泣くものではありません」。 岩次郎は涙をおさえて言った、 「地獄の苦しみが恐ろしいのです。 身の置きようもありません。 今、母上と一緒に風呂に入っておってさえ、こんなに恐ろしいのに、たった一人で暗闇に燃える地獄に堕ちるとは。どうやってそれを免れたらいいのでしょう」。 母が言われた、「おまえが恐怖から逃れることができる、いい方法があります」。 「ありますか」。 「ありますとも」。 岩次郎は「あれば、それでいいです」と言って、また子供たちと走り回り、叫びまわって遊んだ。」 というのであります。 その後母から天神様を拝むように教わり熱心に天神様を信仰しました。 更に観音経を覚えて毎日唱えていました。 そんなある日、村の祭りにでかけて鍋冠り日親の話を聞きます。 日親上人というのは、『広辞苑』に 「室町時代の日蓮宗の僧。上総の人。 京都に出て折伏教化を行い、本法寺を開く。 1439年(永享11)「立正治国論」を著して捕らえられ、種々の拷問を受ける。鍋冠日親と通称。」 と解説されています。 幕府に捉えられ役人に問い詰められました。 「法華の行者にはいかなる霊験があるか」。 日親上人は、「法華の行者は火に入っても焼けず、水に入っても溺れず」と答えます。 役人は真っ赤に焼けた鉄鍋を頭にかぶらせたのでした。 日親上人は一心に法華の題目を念じて立っていました。 この話を聞いた白隠禅師は、一心に観音経を唱えて焼けた火箸を股につけてみたのでした。 もちろんやけどをしてしまいます。 そこで白隠禅師は、やはり出家して道を求めるしかないと心に決めたのでした。 このように地獄を恐れる心が白隠禅師の求道の始まりとなりました。 柳田聖山先生は「地獄に気づいた人は少ない。しかし真に地獄を脱した人は更に少ない。まして他のために地獄に下った人は稀である」と仰っていますが、白隠禅師はまさに地獄の恐ろしさに早くから気がついた方でした。 そして後に大悟して、地獄の苦しみから逃れることができました。 しかし、決してそれでよしとするのではなく、更に地獄に苦しむ人々を救おうと地獄に降りてゆかれたご生涯なのでした。 横田南嶺 ------------------------------------------------- 【サムネイル写真の募集】毎日の管長日記と呼吸瞑想 ------------------------------------------------- この度「毎日の管長日記と呼吸瞑想ラジオ」につきまして、皆さまからのサムネイル写真を募集いたします。 いただいた写真を「毎日の管長日記と呼吸瞑想ラジオ」のサムネイルとして使用させていただきます。 ■撮影対象場所 臨済宗大本山 円覚寺山内 ■応募内容 ・山内のお勧めスポット ・季節や時間帯で変わる円覚寺の風景 など、皆さまのお気に入りの写真をお送りください。 また、お一人さま何枚でもお送りいただけます。 ■撮影について カメラは横向きで撮影お願いいたします。 ■応募方法 下記のメールアドレスに必須情報をご記入の上、写真データをお送りください。 ※ファイルサイズは25MB以下とします。 【応募必須情報】 ・お名前 ・フォトネーム (写真を使用させていただいた場合、YouTube概要欄に記載するお名前です。) ・撮影した場所 ・撮影日 (不明な場合は記載なしで構いません。) 【応募メールアドレス】 [email protected] ■応募条件 応募者がすべての著作権を有している写真に限ります。 応募者ご自身が円覚寺山内で撮影した写真であれば問題ございません。 ただし、被写体に人物が含まれている場合は、事前に承諾を得るなど、肖像権の侵害等が生じないようご確認ください。 ■著作権及び著作者人格権の取扱いについて お送りいただいた写真データについては、応募の送付をもって、著作権を円覚寺に譲渡いただきます。また、写真データの利用にあたっては、応募の送付をもって、応募者様が著作者人格権(YouTube、SNS、Webコンテンツ、印刷物等に円覚寺が写真を利用する際の氏名表示の可否及び写真の翻案、改変、加工、その他の形式で利用する場合の同一性保持の可否等)を行使されないことに承諾いただいたものとします。 ------------------------------------------------- #管長日記, #呼吸瞑想, #毎日更新