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平川市尾上は津軽平野南東端、岩木川支流浅瀬石川が形成した沖積平野の南縁に沿う台地上に位置する。 江戸初めは猿賀派と称して猿賀村の枝村であったが、正保元年(1644)から分村。弘前藩領。村高は「貞亨4年(1687)検地水帳」では58石余、宝暦5年(1755)津軽群平賀庄鼻和庄田舎庄村々高反別では59石余、「天保郷帳」55石余、「旧高旧領」68石余。 貞亨4年(1687)検地水帳によると、小字に栄松があり、家数94で、田畑は無く、また開発可能な田畑地もないとある。 地内を乳井通(碇ヶ関通)が北東~南西に縦断し、東へ山形道、西に向かう猿賀道が交差していて、集落はその十字路を中心に四方へ広がり、乳井道の東側(栄松に)貞亨年間(1684~88)設置された猿賀代官所があった。 貞亨年間(1684~88)から近江商人が来住し、商店・質屋・貸金業・油絞業・醸造業などの商業・加工業を営んだ。明治初年の「新撰陸奥国誌」に家数140軒……「乳井通(碇ヶ関通)・山形道・猿賀道に住し、村中十字衢あり、唯家地のみにして田圃なく、四方他の区に包まれ、耕転の業なければ工商を専らとし、肆店あり」とあり、開発できる土地も無く両街道の交差点付近に家が建ち並んでいた様子が伺える。 今、町並を歩くと、二つの街道筋の交差点付近を中心に当時と同じように家屋がギッシリと建ち並んでいる。平入・妻入り・中2階建て・2階建てでトタン葺きの家屋だ。近江商人の系統をひく商人達の住む町なんだろうと思いながらの探訪だった。