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北九州市八幡東区春の町は八幡東区の北部で、中央に当たり、かっての八幡市の中心であった中央の西隣にあります。町内を東西に主要な道路が通っています。北から国道3号、旧電車通りの県道50号、山手通りです。 かっての尾倉村にあった豊山(とよやま)八幡神社は、安土・桃山時代末、枝光村、戸畑村、中原村の氏神になり、江戸時代になると、前田村、大蔵村にも勧請されました。1889(明治22)年、枝光村、大蔵村、尾倉村の三村が合併して八幡村になります。三村に八幡神社があることから、八幡(やはた)になったといわれています。人口は1,229人でした。 1896(明治29)年、製鐵所の設置場所が福岡県遠賀郡八幡村に内定します。1897(明治33)年八幡村は八幡町になります。1901(明治34)年11月18日製鐵所の作業開始式が盛大に行われました。この時の製鐵所敷地が現在の東田です。 1917(大正6)年八幡町は八幡市になりました。市域は拡大され、その後五市合併前の1962(昭和37)年の八幡市の人口は約345,000人になりました。八幡製鐵所からは大規模な移動がありました。光・堺製鉄所への人員の移動、君津製鉄所建設の際の移動、八幡と富士の合併の際の大分製鉄所への移動です。 八幡製鐵所の工場の主力が戸畑に移行し、東田は遊休地になりました。1990(平成2)年4月テーマパークのスペースワールドが東田でオープンし、鉄道は枝光駅と八幡駅の間の東田にスペースワールド駅が開設されました。現在、スペースワールドは閉園し、その跡地は中央の大通りを境に、いのちのたび博物館が南西側、アウトレットやショッピングモールが北東側にあります。 2012(平成24)年10月新日本製鐵と住友金属が合併して新日鐵住金となりました。2019(令和元)年、新日鐵住金は日本製鉄と商号変更し、2020(令和2)年、全国で6製鉄所体制となり、かっての八幡製鐵所と大分製鉄所は九州製鉄所となりました。 山手通りの八幡東消防署の西、春の町大谷1号線と交差する八幡東消防署前交差点があります。そこから春の町大谷1号線を南へ進みますと、右手に天神町団地があります。その先に歩道橋が架かっています。そのすぐ先の左手に鳥居が見え、奥に菅原神社の小さな社があります。 菅原道真が大宰府に下向中、左大臣藤原時平の放った追っ手の難を避けるため、山手の丘に身を隠したと伝えられています。菅公の遺徳をしのび、村人が祠を建立しました。菅原道真は学問の神様、天神様として崇められています。この神社の西側の天神町の地名はこの神社に由来します。北九州には、菅原道真の大宰府へ下向の際の伝承が多く残されています。 春の町大谷1号線を北に向かいます。八幡東消防署前交差点の一つ北の交差点を左折します。春の町と尾倉の境、道路の右手に林田製畳店があります。その左手に、下への小さな石段があります。そこを下りて行くと道路の下にも道路があります。 上の道は東西に下の道は南北に立体交差しています。下の道に下りると、1891(明治24)年開通した九州鉄道の尾倉橋梁を見ることができます。上の道は、当時は鉄道だったのです。この沿線一帯は鉄町と称されていました。 この路線は内陸ルートでした。1902(明治35)年、現在の鹿児島本線の海岸ルートが開設され、1907(明治40)年九州鉄道は国有化されました。内陸ルートは1911(明治44)年廃線となりました。 尾倉橋梁をくぐって、下の道を北に進みます。旧電車通りの県道50号の尾倉1丁目交差点に出ます。右折して県道50号を東に進み、次の春の町3丁目交差点を左折します。左手に2つの高層のマンションがあります。2つ目のマンションの向こうを左折しますと先方に豊山八幡神社の鳥居が見えます。 その手前左手マンションの北側の一角に、菅公御手洗之池があります。菅原道真が大宰府に赴く途中、この池に姿を映して、無念の気持ちを歌に詠んだということで、影見池、姿見池と呼ばれました。 鳥居をくぐって石段を昇って行くと、社殿が見えてきました。その前に鉄のしめ縄が架かっています。豊山八幡神社に伝わる由緒によりますと、朝鮮出兵の後、神功皇后は宇美で応神天皇を出産され、この地に行幸された際、岡県主熊鰐(おかのあがたぬしくまわに)が御衣を献上します。喜んだ神功皇后は弓矢をこの山に納め、世の中が豊かになるように祈り、豊山(ゆたかやま)と名付けたと伝えられています。 入って来た鳥居の前を北に行きますと国道3号です。そこを左折して西に行きますと西本町1丁目交差点です。その南側に、赤レンガの建物があります。旧百三十銀行八幡支店です。辰野金吾の設計で、1915(大正4)年に建てられた、実は鉄筋コンリート造りです。1993(平成5)年、ギャラリーに生まれ変わりました。 国道3号の西側を望むと、道路はトンネルになります。その上に八幡駅があります。国道3号を進み、並行する坂道の側道を上ると、駅前広場に出ます。