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こんにちは。精神科医の芳賀高浩です。 今日は、皆さんにどうしても「熱い気持ち」を伝えたくて動画を回しています。いつもは診療の中で得た学びを、患者さんにも支援者の方にも共有したいという思いで話しているのですが、今日は少し違います。今日読んだ漫画の、ある一場面から強いインスピレーションを受けました。どちらかというと患者さん向けというより、支援者向けの学びです。だからこそ、今の自分の心に刺さったものを、そのまま皆さんに届けたいと思いました。 その漫画は『キングダム』です。とても有名なので、読んでいる方も多いでしょう。『キングダム』は、奴隷の少年・信が、秦王・嬴政と出会い、中華統一という途方もない夢に向かって駆け上がっていく物語です。今、作中では最大のライバルである趙と秦が激しくぶつかり合っています。 最新話で描かれていたのは、戦場のただ中で行われる「弓の一騎打ち」です。弓使いの兄弟が、中華十弓――中華に十人しかいないと言われる弓の達人の一人と対峙する。何万人対何万人の戦いの中で、たった一瞬、世界が縮まって、弓と弓が向かい合う。これは漫画としてよくある熱い展開です。でも私が心を掴まれたのは、その「勝ち負け」ではありませんでした。 中華十弓の達人は、弓を極めています。だから、どんな武将でも射抜ける。つまり、圧倒的な力を持っている。ところが彼は、人の世の争いそのものに絶望している。人が人を殺し、殺し合いが無限に続く。そんな世界で、自分が極めた弓にどんな意味があるのか。そう思って、一度弓を置いていたわけです。そこへ趙の李牧が現れ、「答えは必ず戦場にある。だから一緒に見つけに行こう」と彼を連れ戻す。 そして、弓使いの兄弟が語る「父の教え」が出てきます。名もなき弓使いの父が、兄弟にこう言うんです。「お前たちはいつか、中華十弓のような本物の名人と戦うかもしれない。技の競い合いだけでは勝てないかもしれない。だから、究極の弓、究極の矢を教えておく。心に刻め」と。兄弟は当然、何を言っているのかわからない。そこで父は言います。究極の弓とは、「落ちない弓」だ、と。 落ちない弓とは何か。未来に向かって矢を放てば、その矢を誰かが受け取り、また誰かが放ってくれる。そうやって人の道は紡がれていく。だから、矢は落ちない。逆に言えば、「人の世に絶望している」というのは、傲慢だ、と父は言う。人は複雑で、不完全で、一人の力ではどうにもならない。だからこそ、たとえ不完全でも不十分でも、未来を信じて矢を放つことに意味があるんだ、と。 その教えを胸に、兄は矢を放ちます。達人は、その矢の軌道が読めない。彼は「今の自分の力の範囲」で世界を見て、勝てるか負けるか、射抜けるか射抜けないかで戦ってきた。ところが兄の矢は、「誰かが紡いでくれるかもしれない未来」に向かって放たれた矢です。計算や読みの外側から飛んでくる。だから見切れない。そして、矢は刺さる。ここが、私にはとてつもなく刺さりました。 なぜ精神科診療につながるのか。少し説明させてください。私は医師として20年やってきました。最初の10年は内科で、その後の10年は精神科です。診療の本質は、内科でも精神科でも同じです。今ある知識と経験を総動員して、患者さんと向き合う。一生懸命やるほど、自分の技量を高めようとするほど、患者さんを良くしたいという思いは強くなる。 でも、長くやっていると、どうしても「限界」を突きつけられる場面があります。例えば、うつ病の患者さん。散歩に出たり、入浴したり、ほんの少し生活が動くだけで改善に向かう可能性が高いと頭ではわかっている。だからあの手この手で関わる。薬を調整する。話題を変える。焦らせないようにする。でもそれでも、1年、2年と、外にも出られない、お風呂にも入れない、「できない、できない」と言い続ける患者さんがいる。すると、こちらの中に虚しさや絶望感が湧いてきます。どれだけ文献を漁っても、どれだけ勉強しても、どれだけ工夫しても、自分には行動変容を促せないのではないか。精神医学は無力なのではないか。そう思ってしまう瞬間があるんです。 この感覚は、キングダムの達人が抱えていた虚しさに少し似ていました。もちろん私は中華十弓でもなければ、日本で指折りの精神科医でもありません。でも「極めよう」と努力している人ほど、「極めた先で、世界が変わらない」ことに絶望しやすい。自分の力だけで患者さんを救えるはずだ、変えられるはずだ、という思いが強いほど、うまくいかない時に苦しくなる。 ただし、ここで誤解してほしくないのは、「矢は落ちないから大丈夫だ」と言って、支援者が手を抜いていいという話ではないということです。世の中には、残念ながら最初から「良くなること」をあまり期待していない支援者もいます。あるいは、どこかで諦めを正当化して、関わりを雑にしてしまう人もいる。私はそれを肯定したいわけではありません。むしろ逆で、良くしようと本気で思い、考え抜き、工夫し尽くした上で、それでも届かないときに生まれる虚しさを、もう一度「未来」へつなぎ直すための比喩が「落ちない矢」だと思っています。 私自身、必死にやっているからこそ、心の中に傲慢さが顔を出す瞬間があります。「風呂なんて入ろうと思えば入れるだろう」「家の中は歩けるのに、なぜ外に出られないのか」。健康な側の“普通”を基準にすると、患者さんの現実が見えなくなる。けれど臨床では、患者さん本人にとっては「外に出るのは無理」「入浴はとんでもない」ことが起きている。面白いのは、入院して環境が変わると、週に2回、3回と普通にお風呂に入れるようになる人がいることです。つまり、症状や意志だけでなく、環境の力が大きい。同調圧力という言い方もできますし、枠組みが変わることで身体が動く、という現象でもあります。だから私は「本人が怠けている」とは基本的に考えません。むしろ、どういう条件なら動けるのか、どういう環境なら一歩が出るのかを一緒に探したい。 また、私は患者さんに対して怒りをぶつけることはまずありません。例えば、こちらが魂を込めて処方を考えたのに、実は全然飲んでいなかったと後からわかったとき、人間ですから一瞬ムッとすることはあります。でも次の瞬間に私の興味は、「この人はどうやって飲んでいるふりをしたのか」「飲めなかった背景には何があるのか」「どこに怖さがあったのか」に移ります。怒りをぶつけても治療が前に進まないことを、私は20年の臨床で痛いほど知っているからです。 治療がうまく進んでいたのに、途中から親戚や家族が強く口出しして、関係がぐちゃぐちゃになることもあります。不登校の子が少し動き出したタイミングで、親が焦って介入し、また崩れることもある。そういうときも私は「なんだよ」と思わないわけではありませんが、結局その親戚や家族も含めて、その人が生きている“現実”です。私の想定が狭かっただけだ、と受け止め直し、どう組み立て直すかを考える。支援者は、いつも正解を当てる役ではなく、変化が起きるたびに地図を描き直す役だと思っています。 だからこそ、私は「落ちない矢」という比喩に救われました。自分の力の範囲で完結させようとしない。自分が全部やり切れないからといって、世界や人に絶望しない。むしろ、未来を信じて、今日できるベストを放つ。支援者として、患者さんに寄り添い続ける。寄り添いとは、媚びることでも忖度することでもなく、「常にそこにいる」という姿勢です。支援が必要なタイミングは、いつ来るかわからない。だから、支援者側が健康であること、一定のテンションを保てることも大事だと私は思っています。 漫画やアニメには、人の心理や美しさを、言葉と絵で立体的に伝える力があります。フランチェスコ・パン先生が提唱するアニメセラピーの話もありますが、キャラクターに自分を投影することで自己理解が進み、自己開示が促されることがある。今回のキングダムの一場面も、まさに私にとっての「治療の矢」を支えてくれました。 私はこれからも、精神科医として、絶望することなく、今の医療の枠組みの中でできるベストを尽くしていきます。そして、皆さんにも伝えたい。もし絶望している支援者の方がいるなら、その絶望は「もう終わり」ではありません。矢は落ちません。あなたが放った矢は、どこかで誰かが受け取るかもしれない。今日の一言が、半年後の一歩になる。そういう時間差を、私は信じたいのです。そのために、私も学び続けます。よかったら、一緒に歩きましょう。だから今日も、未来に向かって放ち続けましょう。 私は毎日19時に動画を出しています。2026年は少なくとも365日、できる限り続けたいと思っています。編集なしの20〜30分、ひとつのテーマを真剣に語ります。主治医との関係が第一であることは大前提として、スパイスとして、調味料として、皆さんの気づきや学びの一助になれたら嬉しいです。コメントや応援で支えていただけたら励みになります。 そして、もし「死にたい気持ち」「生きているのがつらい気持ち」を抱えている方がいたら、私の著書『私の中の希死念慮ちゃん』も手に取ってみてください。Amazonや楽天、紀伊國屋のWeb、大型書店、そして図書館でも少しずつ置かれるようになってきました。必要としている誰かに届くことを願っています。 精神科医の芳賀高浩でした。明日も19時にお会いしましょう。さよなら。