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#koshoiha #沖縄音楽 #アマミキヨ #北中城村 #アスムイ御嶽#仲順大主 #琉球開闢七御嶽#沖縄方言ナレーション 仲順1 義本王は王位を退いて後、まるで逃げるように各地を転々とした形跡や言い伝えが数々あり、その人生最期の地が中頭郡北中城村・仲順であると伝わっています。読谷村瀬名波から当時の中城喜舎場村の創建者・喜舎場公を訪ね歓待厚遇され、その後にお隣の仲順村村を創建した仲順大主の手厚い庇護を受けたというのです。 仲順2 その形は琉球の古い墓の特徴である琉球石灰岩の大岩をくり抜いたウフドゥル(掘抜き墓)で長い年月の経過を見て取れます 仲順3 さて仲順大主が仲順村を創建したとなれば、村が出来上がったばかりの絶好のタイミングで義本王が移り住んだという事になります。いったい何故こうもタイミングよくこの新しい村に義本王は辿り着けたのでしょうか?更にはその同じ時期に喜舎場公という傑出した人物も現れお隣の喜舎場村も創建され仲順村と共に二つの村が山の斜面に沿ってできたのです。13世紀といえば今から800年以上前のことで開拓事業もかなりの苦難があったと考えられます。 仲順4 謎は多方面に深まりますが、私が何故「浦添ようどれ」と「アスムイ御嶽」でイジュの花の芳しい匂いに包まれたのか...... 改めて考えました。 「目に見えないものを伝える」それが音楽の真骨頂です。音や声は見えません。 義本王の末裔が選んだ「口述伝承・秘密主義」とは同種の特徴を感じます。そう...「敢えて目に見えない伝え方」の継承こそ義本末裔の運命を握っていたのではないでしょうか.....。英祖王に代替わりし世代わりの常として追われる立場になった舜天王統家系の人たちにとって身分を隠し証拠を残さず「秘密」を伝承する必要があったと考えられます。「音楽や歌」も「言い伝え」も、そして「イジュの花の匂い」も決して目に見えるものではありません。私の知らないある存在から「勘」を取るように与えられた「報せ」だと受け止めています。 仲順5 沖縄の代表的な伝統芸能であるエイサーは沖縄各地に広まり個性豊かに継承されています。その中でも大スタンダード演舞曲「仲順流れ」には私たちが知らない秘密のメッセージが組み込まれているのだとすると、エイサーに接する態度まで変わります。歌詞の「産しぐゎ三人」を沖縄方言の「みっちゃい」ではなく「さんにん」と大和読みで歌われています。このような事は別の演舞曲「秋の踊り」でも見られます。先祖供養の踊りという点を見ても「仲順流れ」を聴く現代の「義本の末裔」の心はさぞかし深い感銘があるのでしょう。 仲順6 「仲順流れ」沖縄の人にとって「絶対的」と言って良いほど有名なエイサー演舞の代表曲ですね。ここ仲順公園に「仲順流れ」の立派な歌碑があり仲順大主の名前も出てくるのです。ただし歌詞には意味の不明な点もあり「七流れ』「七はやし」は何を意味しているのか?というご意見を散見しました。七流れとは?私が思い当たった推測があります。それは *仲順集落を開いた最初の世帯は「七煙し・ななきぶし」である* 人が住むのに必要な「火」をたいて煙が上がるという意味です。その最初の7世帯の首領が仲順大主だということです。 仲順9.10 古来「仲順村」を創建したとされる仲順大主はその他の6世帯と一緒にこの土地を切り開き開墾しと仮定すれば...その最初の「七煙い」はどこから「流れて」きたのでしょうか? 彼ら七煙し「仲順創建の7世帯」は、ある使命を帯びて一集落を築いたのではないでしょうか?そういう私の推論に沿ってさらに深掘りしてみます 仲順11 ネット情報などでは「舜天王統の三王」が祀られているとも書かれていますが、なぜか王族ではない「仲順大主」が真ん中に祀られ「2代目 舜馬順煕王のお位牌は見当たりません。 ここにこそ舜天王統とその末裔が守り続けた門外不出の極秘計画を読み取っていける「ヒント」が隠されてはいないでしょうか? 仲順12 いろいろ調べているうちに貴重な写真に巡り会いました。この「舜天王」「舜馬順煕王」の石碑は、やはりその設置場所が変わっているのです。 13.14 私は案内板を読み違えて、ここが「王妃の墓」のことを指しているものだと勘違いしていたようなのです。実際に自分自身で行動しないと気づかないままでした。 私の勉強不足で判読が難しいこの石には「賓頭盧尊者・びんずるそんじゃ」と刻まれているそうです。沖縄では「ビジュル」と読み古来インドから中国を経て琉球、日本に伝わったとされています。 15.16 この賓頭盧の祠は「王妃の墓」ではなく「仲順ビジュル」と呼ばれる拝所であると知りました。仲順ビジュルは「花崎門中のノロ」により旧暦9月9日に御拝(ウガミ)が行われ以前は仲順のお隣の「喜舎場」にある「王妃御墓(ウナジャラウハ力)付近の御願毛(ウガンモー)」に在ったという事ですが、区画整備事業で「ナスの御嶽」の左手後ろ側に移されたそうです。 少しだけ本質に近づいた感じです。 ここでも義本王の直系の子孫と言われる「花崎家」の名前が浮かんできましたね。 しかし...お隣の喜舎場にあった時も「仲順ビジュル」と呼ばれていたのでしょうか?「喜舎場ビジュル...」とは呼ばずに「仲順」の呼び名.....もしかしてそれが集落の仲順ではなく義本王やその末裔の大恩人とされる「仲順大主」の名前からつけられた呼び名だったら意味が全く違ってきそうです。