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久しぶりに寝過ごして慌てた朝。 顔も洗わずに奈良100年会館へ。 何とかリハーサルに間に合うが、プロフェッショナルなリハーサルに私がいなくても全く問題がなかった。 今日は非公開のイベントでオープニング映像を担当する。 私の希望で映像と生演奏のコラボが実現した。 100年会館大ホールに満員のお客様。満員といっても映像や音楽が目当てのお客様は1人もいない。 そんなイベントのオープニング映像はとても難しい。 実は今までの苦い経験からたくさんの反省がある。 嫌な思いをして、上映会以外では絶対に映像詩を上映しないと決めていた時期もあった。 今回は、そんな失敗から学んだスキルを活かす場にした。 すべてのお客様は映像や音楽が目的ではない。 開演時間に全員が着席することはなく、通路を歩いたり、スマホを使ったり、席を探したり、大きな声で名刺交換している人もいる。式典などでは、それが普通なのだ。 そのような雰囲気の中で、いかに短い時間ですべてのお客様を黙らすか、経験から学んだ。 お客様の心を掴めば、オープニング後の進行がスムーズになる。 イベント全体を成功させるためにも、オープニングの役割はとても重要だ。 オープニング映像の冒頭はインパクト勝負。 歩いている人がいようが暗転からのスタート一択。 丁寧な説明などは一切なく、逆にお客様を突き放すくらいが丁度いい。今回は、おん祭の音とお水取りの音で会場に緊張感を持たせる。 客席にハンマーを振り下ろす、そんなイメージだろうか。 そして、注目を集めたところで、ハープとチェロの音がお客様の琴線に触れる。剛から柔へとお客様の心を誘う。 後は保山ワールド全開。 映像、ハープ、チェロ、たった5分で満員のお客様の心を掴むことに成功した。 映像と演奏がシンクロし、広い会場に波動となって広がっていく。 素晴らしいスタッフと演奏者に恵まれて私は幸せだ。 今まで続けて来たことが形になった。そんな実感があった。 隣にいたスタッフの清水さんはハープの演奏が始まってから最後までずっと大泣きしていた。 すべての苦労が報われたような満たされた気持ちになった。 司会の中野さんに「奈良が誇る映像作家」と紹介していただき、私も泣いた。 涙の理由は、誰かに評価されたことではなく、奈良に帰って来てからの10年を思い出していた。 私の映像詩を大切にしてくださる方、このようなハレの舞台でお役目を与えてくださる方、この奈良でそんなご縁に私は救われて、ここにいることがとてもありがたく幸せだった。 奈良100年会館を後にして、撮影のために奈良公園へ。 浮見堂へ行くと、幸せそうな人で賑わっている。 日本人よりも外国人の姿が目立った。 中東やウクライナでの戦争が続く中、世界の中の日本は平和に見える。 平和に見えるだけで、地球を俯瞰してみると、この風景も偽りの平和に見えて来る。 たとえ偽りの平和であっても、私の目に映るすべての人は幸せそうな顔をしている。満開の桜に浮見堂、池には多数のボートと水鳥の姿。 きっとお花見しながらボートに乗るカップルは幸せに違いない。 私にも学生時代に一度だけ彼女とボートに乗ったことがあった。 思い返すと、きっとあの時が私の人生で最も幸せな一日だったに違いない。そんなことを思い出しながら、久しぶりに観光客が映っている浮見堂を撮影した。 浮見堂から少し南、天神社の近くにお気に入りの桜がある。 以前、このあたりは住民以外は歩いていなかった。 奈良公園が賑わっていても、ここの静寂は保たれていた。 でも、今日は多くの外国人観光客の姿。 インバウンドのすべてを嫌っている訳ではないが、 ここだけは勘弁して欲しかった。床の間に土足で上られたような感覚だ。 きっと親切な日本人が、穴場として紹介しているのだろう。もう奈良公園には1人になれる場所はない。 編集しているとウグイスの鳴き声と共に、スペイン語の怒鳴り声や大声の中国語が入っていて音は全く使えない。 都会の喧騒ではなく、奈良公園の喧騒、時代はもう逆戻りは出来ないのだろう。 それが良いのか悪いのかは、感じ方は立場によって違うだろう。 でも、こんなにも短時間でここまで変わってしまって良いのだろうか。 この流れは止められないが、ふるさと奈良のために、ひとつでも役に立って私はこの世を去りたい。 私は観光立国という考え方には賛同出来ない。でも、日本政府がその道を選んだのであれば、せめて誇りを捨てることのない観光立国日本の道があるはずだ。 時間がない中で私に何が出来るのか。そればかりを考えている。