У нас вы можете посмотреть бесплатно 【「あゝ野麦峠」で有名な岡谷の製糸工場へ働きに出た女工が泊まった入山宿(にゅうやまじゅく)】山奥の野麦街道沿いに残る無人となった宿場跡。旅籠・民家・小学校・お墓・神社が廃墟化して今も残ります。 или скачать в максимальном доступном качестве, видео которое было загружено на ютуб. Для загрузки выберите вариант из формы ниже:
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信州松本と飛騨高山を結ぶ陸路として古くから利用された野麦街道。その入口に位置する入山宿は地元松本市民でもほとんど知りません。かつて野麦街道に沿って5軒ほどの宿屋がありましたが、現在は全て廃屋となっています。時間の経過とともに廃墟化が進み、長い時間風雨にさらされ続けている木造建築物は朽ち果てつつあります。 入山宿へは、東京電力奈川渡ダム沿いを通る県道26号にある宮ノ下トンネルの直前にある脇道から入ります。 200mほど車で進むと右手に有名な旧・宮ノ下隧道(入り口が閉鎖された廃トンネル)があります。そしてさらに山の上側へと進むと入山宿の跡があります。 入山地区は急傾斜地にあり耕地に適した場所はありません。かつては集落に20世帯ほど住んでいましたが、現在は10世帯ほどに減っています。昭和44年頃に入山集落の集団移転が図られ、元の入山宿辺りから北寄りの現在の集落に移転したという記録が残っています。 傾斜地ならではの建て方が今も残る古い木造建築は入山宿独特の景観と言ってもよいでしょう。表通りから見ると普通の建物ですが、背後を覗くと柱によって支えられた建物が崖の上にせり出しているのがわかります。 道路はかなり以前に舗装されたようですが、全般的に荒れています。土砂崩れの跡もありところどころに大きな石が転がり、樹木も散らばっています。道は狭くて通る人もいません。野生動物も頻繁に出没するようでサルの糞も転がっています。 なお、全面通行止めとなっていて冬季は完全に閉鎖されています。冬以外でも一応通れるようですが途中で通行不能になったら引き返すしかありません。歩いて行くのがおすすめです。車で行く際は自己責任で。 入山宿は観光地化して観光客を呼び込む計画があったようです。かつて入山宿では一番の賑わいをみせていた旅籠・松田屋は明治元年の建築を復元したものです。 その計画はいつの間にか頓挫し廃墟化しています。現在は松本市が管理しており、事前に連絡すれば見学も可能です。建物に張り紙があり連絡先が記入してあります。興味のある方は是非どうぞ。 松田屋以外は、入山宿にはかつての集落や旅籠(宿屋)墓地、小学校、神社が当時のまま残っています。 入山宿で見応えがある建物は宿屋以外では入山分校跡です。昭和9年完成の古い木造校舎がひっそりと山奥に残っています。ここは廃墟マニアや廃校マニアの間でもあまり知られていません。関連動画で紹介します。是非ご覧ください。 動画の中でも紹介していますが、野麦街道は、明治・大正時代にかけて、飛騨地方から岡谷・諏訪の製糸工場へ働きに出た女性(女工)が通った街道として知られています。 何度も映画化されている山本茂実の小説「あゝ野麦峠」を読んだ方も多いでしょう。野麦峠も野麦街道の先にあります。 製糸工場の女工として働く彼女たちの中には12歳の少女もいたそうです。年末年始とお盆の年2回、女工たちは野麦街道を通って親が待つ故郷に帰省しました。もちろん当時は徒歩です。 そんな女工たちが途中宿泊したのが入山宿の宿屋です。 今の時代のような個人部屋なんてもちろんありません。大部屋で何人もが宿泊したのは用意に想像できます。貧しい飛騨の農村女性にとって決して楽しい修学旅行のような旅路ではありません。部屋にはどんな声が響いたのでしょうか。一時の安堵から笑い声?それとも辛くてすすり泣きがあちこちから聞こえてきたのかもしれません。 野麦峠越えの途中で行き倒れる女工も少なくなかったようで、街道の途中に置かれた石仏は、峠を越えることができなかった少女たちを祀ったものです。 その後、昭和9年(1934)、国鉄高山線が開通し、野麦街道は使われなくなりました。入山は、もともと宿場町として発展した場所ではなく、生活の道路であったため鉄道が敷設されると野麦街道は一気に衰退しました。 今では、山深い街道は終日ほぼ誰も通らない静まり返った廃道となっています。 【観光情報】 だいたいこの辺りです。 https://maps.app.goo.gl/dmNXCM2oXGwEP... 道路は冬季閉鎖、それ以外でも通行は困難です。 駐車場、トイレはありません。路肩に駐車可能です。 【関連動画】 • 【旧野麦街道と野麦峠】「あゝ野麦峠」で有名な岡谷の製糸工場へ働きに出た女工達が歩いた... • 【昭和43年の新聞が残る旧奈川村立奈川小学校入山分校】昭和9年開校当時の木造校舎が残... • 【野麦峠 お助け小屋】飛騨から岡谷の製糸工場へと向かう女工達が厳しい雪の峠越えの際に... • 【岡谷蚕糸(さんし)博物館 シルクファクトおかや】山本茂実著『あゝ野麦峠』で有名な女... • 【水色の時道祖神 安曇野市】大竹しのぶさん(当時17歳)主演、1975年(昭和50年... (00:00)野麦街道散策スタート (01:21)大日如来・馬頭観音像 (01:36)民家1 (02:10)宿屋1 (04:19)宿屋2 (06:30)宿屋3 (07:32)入山宿案内板 (08:01)宿屋4 (08:31)松田屋 (10:15)山荘つたや (11:30)青木神社 (12:14)民家2 #入山宿 #野麦街道 #野麦峠 #松田屋 #奈川 #松本市